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UK INTERNATIONAL DANCEHALL QUEEN DEC.2006
2006年12月2日(土)にLONDONのSTRATFORD REXでは、
イギリス初のUK International Dancehall Queen Competitionが開催。
主催はWATERROD PROMOTIONS。



日本からはHardcore J、Mishulanが出場。
ゲストダンサーは日本からDancehall Queen Junkoが参加。 エントリーダンサーのラインナップは下記の通り。

▼CRAZY HYPE (ENGLAND, BIRMINGHAM)
▼TANTALICIOUS (HOLLAND)
▼KIM LA QUEEN (GERMANY)
▼BUBBLA (ENGLAND, LONDON)
▼MISHULAN (JAPAN)
▼HARDCORE J (JAPAN)
▼JUKA (ENGLAND, LONDON)
▼MOMO (CANADA)
▼TWISTA (ENGLAND, LONDON)
▼LATESHA (JAMAICA)
▼CADIAN (ENGLAND, BIRMINGHAM)
▼NIKKI (AMERICA, MIAMI)

しかし当日はDHQ NIKKIは欠席、CANADAのMOMOは会場にはいたものの参加せず。

結果は下記の通りです。
☆優勝:CADIAN (ENGLAND, BIRMINGHAM)
☆2位:LATESHA (JAMAICA)
☆3位:HARDCORE J (JAPAN)
☆4位:不明
☆5位:MISHULAN (JAPAN)

情報提供:WATERROD PROMOTIONS, MISHULAN
テキスト:RUFF-CUTかずみ
ダンサーイベント「WHO OWNS THE DANCEFLOOR 2006?」年末に開催決定! NOV.2006
ニューヨークで最もハイプなサウンド"the dynamic PLATINUM KIDZ"の主催のもとで、
ダンサー集結のビックイベント「WHO OWNS THE DANCEFLOOR 2006?」が開催!




日程は12月27日(水)、場所はニューヨークにあるThe National Black Theater。

年末、ジャマイカを始めとする世界中の人気ダンサー達がニューヨークのナショナルブラックシアターに集結しちゃいます。
これは何やら起きそうな予感。。。てか、フロアジャックは当然でしょう!?

JAダンサー vs. USダンサー?
JOHN HYPE vs. SHELLY BELLY??
DANCEHALL QUEEN DANCER BATTLE??
さて、どうなることやら。。。気になりますな~

このイベントの前回(Vol.1)の様子が、サンプルムービー で見れます。

前回の模様が収録されているDVDの詳細は下記のINDEXをクリック!


今回出演する予定のダンサーは下記のとおり。

●インターナショナルダンサー (JAMAICA)
John Hype
Shelly Belly
Boyzie
Overmars
Timeless
Coppa (with the Wacky Family)
Spikes

●ナショナルダンサー (USA)
Candi (Connecticut Dancehall Queen)
Candy (Chicago Dancehall Queen)
Lady Lex (New Jersey Dancehall Queen)
Skerrit Bwoy
Crazy Hype Family Dancers

●ローカルダンサー
Atomic Dancers (Bronx)
Energetic Ladies (Bronx)
Shat Money Colleagues (Bronx)
Ice Kru (New Jersey)
Wata Boot (Brooklyn)
Belvue Kidz (Bronx)
Deadly Medley (Brooklyn)

●サウンド
SYNEMAX
HITMATIC
MADD MUSIC & PLATINUM KIDZ

詳細は DANCE & EVENT BOARD のページで!


情報提供:Dancehallreggae Com.
テキスト:RUFF-CUTかずみ
INTERNATIONAL DANCEHALL QUEEN 10TH ANNIVERSARY AUG.2006
下記は今年のINTERNATIONAL DANCEHALL QUEEN CONTESTについての速報を
RUFF-CUT BBSでその都度お伝えした内容をまとめたものです。
(後から付け足した箇所もありますので読み逃しのないよう)

このコンテストの詳しいリポートは、SISTA'S NEWSのページ に掲載しています!
update INTERNATIONAL DANCEHALL QUEEN CONTEST 2006 REPORT by MINAKO KURASAWA  

※画像をクリックすると拡大した画像が見れます
●今年のINTERNATIONAL DANCEHALL QUEEN
投稿者:RUFF-CUTかずみ 投稿日: 7月18日(火)21時19分38秒

今月7/29にジャマイカのモベイで開催されるINTERNATIONAL DANCEHALL QUEEN CONTEST(10周年)に
今年も日本から5人のダンサーが出場します。(※私の方で把握している限り)

東京からMISHULANとJUICY-R(17日の早朝に日本から出発)、HARU音(19日出発)、神戸からHARDCORE J(21日出発)、広島からCHRIS(19日出発)の5名が日本の代表ダンサーとして今年のDHQに出場します。

今回現地にてレポートをしてくれるのはNew York在住のジャーナリスト倉澤ミナコさん。
彼女は日本のレゲエダンサーについてのドキュメンタリーフィルムを制作中で、
今現在日本に帰国し今年のDHQに出場するダンサー達を中心に密着取材をしています。
また現場のシーンにもビデオカメラを持ち込み、UNITY LIGHT DANCEやTUFF&SEXY、SUMMER BOUNCEなどでも
すでに撮影取材をしているので見かけた方もいると思います。

モベイのDHQの取材を終えたらまた日本に一時帰国し、日本のレゲエダンサー達の取材をした後、NYに帰ります。
今後も関係者方へのインタビュー等の依頼をすることがあると思いますが、何卒ご協力いただけたら幸いです。
今年のDHQの結果報告とレポートについてはサイトの方で掲載する予定です。

※フライヤー:INTERNATIONAL DANCEHALL QUEEN 10TH ANNIVERSARY
フライヤー提供:SEAFAN JAMAICA


●ダンスホールクィーンコンテスト
投稿者:こずえ 投稿日: 7月30日(日)23時10分38秒

一位はモンテイゴベイから参加のエンジェル。
彼女はジャマイカカラーのエクステで登場。Dutty Wineの女王と呼ばれている。
二位はマイアミのニッキー。彼女はダンサーキーバとZumjayのPV"Shake It"に出演しています。
三位は去年DHQでベストドレッサー賞を取った日本からのクリッシー
彼女は本日James Bond Beachで開催されるDutty Wineコンテストにも出場予定!

情報提供:GHETTO DICTIONARY


●2006 DHQ 結果発表
投稿者:RUFF-CUTかずみ 投稿日: 7月31日(月)00時41分0秒

こずえちゃんの報告にもあるとおり、1位はモベイのShalara Gayle/シャラーナ(通称エンジェル)18歳
2位はフロリダのNicolalee Sylvester/ニコレットシルベスタ(通称ニッキ)24歳
3位は日本のCRISSY(昨年のベストドレッサー受賞した広島のクリッシー) ベストコレオグラフィ賞(振り付け)が2位獲得のニコレット
ベストアティチュード賞が今年のQueen獲得のシャラーナ
ベストコスチューム賞がワシントンDCのデイナジャレット 日本から出場したHardcore JとMishulanは3ラウンド(TOP10)まで
Haru音とJuicy-Rは2ラウンド(TOP15)まで残ったそうです。 今年の出場者は全24人で、その中には2004年のMISS USA Queenの
N.Y.のYANNIも出場したが3ラウンド(TOP10)までだったらしい。 昨年のDHQueenシャニークが今年他界したため、
2位だったキャンディがゲストダンサーとして出演。 日本のDHQ JUNKOはBIG HEAD CLOTHINGのファッションショーに出演、
またゲストダンサーとしても踊ったそう。 ミヨコさんの話によると、今年はHardcore Jがすごく良いステージを見せてたらしく、
会場をかなりBUSSさせていたらしい。
と、簡単ですが、ここまでが結果報告です。 現地まで取材に行っているジャーナリストの倉澤ミナコさんによるレポートは
後ほどサイトの方に更新させてもらいます。
ちなみに彼女は今日BIG HEADのインタビューをして、
明日にはジャマイカから日本に帰国する予定です。

※写真:授賞式の様子
写真提供:SEAFAN JAMAICA
●2006 DHQ追加情報 PT.2
投稿者:RUFF-CUTかずみ 投稿日: 7月31日(月)15時47分58秒

最初は40人出場と噂されてた今年のDHQ、
実際には24人でしたが実力あるダンサーが揃っていたとのことでした。
2004年に2位獲得したカナダのMOMO(昨年は3ラウンドまで残った)は、
せっかく出場するためにモベイまで来たのにもかかわらず、
事前に何か嫌なハプニングがあったらしく、自ら退場。

2004 Miss USA QueenのYANNIは3ラウンド(TOP10)までだったけど
ステージは相当格好良かったとのこと。

あと今年は音源の面や、TOP10のインタビュータイムなどで、
例年のコンテストとはちょっと違ったやり方だったらしく、
出場者達にとってはやりづらかったのでは?との話も直接聞きました。
また情報が入り次第書き込みします。

※写真左:HARU音(JAPAN) & MOMO(CANADA)
※写真右:YANNI (NEWYORK)
写真提供:SEAFAN JAMAICA


●2006 DHQ追加情報 PT.3
投稿者:RUFF-CUTかずみ 投稿日: 8月 2日(水)22時28分16秒

今日、ジャーナリストの倉澤ミナコさんが日本に帰国しました。
ミナさんの話だとTOP10まで残ったHARFCORE JとMISHULANが会場をかなりBUSSさせてたそう。
ミヨコさんの話と同様、日本人ダンサーのレベルも高かったと話しておりました。 そして昨日は、3位を受賞したCRISSYから連絡がありました。
彼女は今現在キングストンにいて、先週のクラブ「アサイラム」で行われたDUTTY WINE CONTESTに出場し、
ファイナリスト5人に勝ち残り、FULLY LOADEDの決勝戦に出演したとのこと。
(こずえちゃんの書き込みにもあるとおり)
あと、FLOARA&DING DONGの新曲のPV撮影に参加したそうです。 今年のDHQの詳細はミナさんのレポートを通して、SISTA'S NEWSのページでお伝えしたいと思います。
楽しみにしててください。

※写真;CRISSY(JAPAN) 3位受賞式の様子
写真提供:SEAFAN JAMAICA 情報提供:SEAFAN JAMAICA
テキスト:RUFF-CUTかずみ
DING DONG'S NEW DANCE - BEFORE SUMMER & SURF JULY.2006
●DING DONGのNEW DANCE "BEFORE SUMMER"

dingdong久々のジャマイカニュースの更新です。お待ちいただいてた方には本当申し訳ないです。
今回は人気ダンサー Ding Dongの記事を紹介したいと思います。

イギリスのレゲエチャートで1位を獲得した Ding Dongのシングル「Bad Man Forward, Bad Man Pull Up」の歌詞の中でも歌っているニューダンスの「Before Summer」。
ダンサーだけでなく、Deejayとしても活躍中のDing Dongが、今度はその同名の曲をレコーディングした。

「このダンス(Before Summer)はあちこちですぐに流行るよ。
見たらすぐにわかるダンスさ。ちょっと変わったダンスだからね。6つの違ったダンスから作られているんだ。
今俺たちが支持しているロードダンスは、毎週日曜日にマウンテンビューのレイバーズ・クレイバーズ・パークでやってる「Gabba Sundays」さ。」 Ding DongはRavers Clavers Crewと一緒にバハマでのショーを控えている。
「今俺たちはヤバいショーをやってるんだ。毎週末はどこかしら営業に行ってる。みんな俺たちのショーが大好きだからね。」 YardFlex.Comの情報によると、先週、St.AndrewのNannyvilleにあるレイバーズパークでDing Dongのインタビューをした時に
ロンドンのCHOICE FMではDing Dongのヒット曲「Badman Forward, Badman Pull Up」が初のNO.1を獲得したということだ。 最近ではDigicelのCMコマーシャルにも出たり、ちょっと前だったらVoice Mailのヒット曲「Wacky Dip」のPVなんかにも出ていたので、
Ding Dongを見たことある人も多いだろう。
今の彼には自分の持ち歌の「Badman Forward, Badman Pull Up」があり、ジャマイカのShottas達(ギャングスタ)のために作られたというこの曲のダンスは、大ヒットとなった。
(かつてのギャングスタが踊るダンスは、こんなステップ系のダンスではないという固定観念があったんですが‥) DINGDONG「Badman Forward, Badman Pull Upは、去年の夏、俺がイギリスに行った時にすでに作ったダンスなんだ。
イギリスで俺とキーバとマッドミッシェルとサディキとクレイグドレッドで最終的に仕上げた。ちょうどサディキがイギリスツアーの真っ最中でさ。
その当時のダンスファン達はみんなボーグルのWillie Bounceに夢中で、他のダンスには目も向けないって感じだった。だから俺はみんながこのダンスに目を向ける時期を待ってたんだ。」
(写真左:Badman Forward Badman Pull Up" Live by Ding Dong【Jamaican Music Video Vol.46】) Ding Dongの本名はKemar Ottey。
今までのヒット曲、Voice Mailの「Wacky Dip」や、BogleとVoice Mailの「Weddy Time2」などにもDing Dongの声が収録されている。また数ヶ月前にはソロで「Chakka Chakka」の曲もレコーディングしている。
しかし、彼が初めて大きく注目されたのは、「Badman Forward, Badman Pull Up」である。
「今、最高の気分だね。だって、そうだろ?今までにどれだけのDeejayがNO.1を取ったことがある?
俺はすでにNO.1をゲットしたんだ。そりゃぁ最高な気分だろ!?」 このインタビューの時期、彼のシングルは、サウス・フロリダのレゲエシングルのトップ20のチャートでも15位にチャート入りしていた。 ジャマイカでは、ダンスというのは感情表現の手段として、またキングストンの広範囲に渡る多くのゲットー地域で起きているストリートのバイオレンスを防ぐための代償になるもの、と考えられている。

Ding Dong自身が設立したダンスクルー「Ravers Clavers」は、Overmars、Chicken and Beer、Johnny Bravo、Sir Yummy(見かけは一番年上に見えるが実際には一番若いダンサー)、Mundo、 Pree Dem、 Strengthから成り立っている。
すでに、このクルーで4月にはイギリスツアーの話も決まっているし、最近ではアンティグアとバルバドスにツアーに出ていた。 「Ravers Claversと名付けた理由は、俺たちは1週間のうちの7日間RAVEして(熱狂し続けて)、毎日を楽しんでいるからRAVERS。
で、毎日RAVEしながらDeejayをやりたいからCRAVERS。俺が「Ravers Clavers」と名付けて、設立した。」
とNannyville在住の25歳のDing Dongは説明した。 DINGDONG「Badman Forward, Badman Pull Up」のダンスは、ダンスホールの現場に行く者達の中で今もっとも人気のあるダンスだとDing Dongは説明した。

「このBadman Forwardのダンスは、Jiggyでは踊りたくない、自分のルーティンで踊りたいというBad Man達のためのダンスなんだ。ステップしながら踊る。奴らが好きなダンスはみんなも好きになるし、絶対に流行るんだ。
それにしたって、こんなにたくさんのBad Man達がダンスして楽しんでいるのを俺は今まで見た事がないよ。」と笑った。

(写真左:Badman Forward Badman Pull Up" Live by Ding Dong【Jamaican Music Video Vol.46】) 「みんなはこの曲がプレイされるのを待ってたんだ。だからみんな踊る。これは今始まったばかりさ。」 カラフルなシャツとゴールドのアクセサリーを身につけたスレンダーなイケメンダンサーのDing Dongは、周りの仲間達にとって喜びのもととなっている。
YardFlexが写真撮影とインタビューをしている間も、彼はジョークを飛ばし、仲間のダンサー達を笑わせていた。
その撮影の間の彼のジョークのいくつかをここで紹介したいと思う。 「ヘイ!(仲間達に向かって) いいか、お前達、写真を撮る時はいつも笑わなきゃ~。笑った方がカッコいい写真が撮れるぞ」

「そうだ! ポーズを決めるのも仕事の一つなんだから、それをマスターしなきゃ!」

「ヘイ!カメラマン、携帯電話を持ってる写真を1枚頼むよ。なんたって俺の携帯は今最新の機種なんだからさ~」

さらに彼はカメラのディスプレイで自分が写った写真を1枚ずつ見ながら、
「おぉ~これはMADだ、俺はこれが気に入った! 俺のシャツはイケてるな~ これにはみんなヤラれるだろ~、
な、チキン&ビア(彼のダンスクルーのメンバーの名前)もそう思うだろ!それにしても俺のシャツはヤバいな~」

dingdong数日前のストリートダンスで突如結成されたというDing Dongのダンスクルー "RAVERS CLAVERS"の仲間達とジョークを交わしながらインタビューを受けている途中、
彼は休憩しながら語り始めた。
(写真:DANCERの"DING DONG" & "SPIKE" @PASSA PASSA 30) 「ダンスに行った時、俺がいつも乗っている古いVAN(車)を見たエレファントマンが、
『Ding Dong!お前、何のVANに乗ってるんだ??お前たちイケてるのか?』と見下すように言ってきた。
俺はエリーを見上げ、『俺の曲はもう聴いた? エリー、君の曲はイケてるの?』って一言言ってやった。そしてすぐにその場を立ち去った。
エレファントマンの最新のチューンの一つに、Ding DingのNO.1ヒットソング「Bad Man Forward, Bad Man Pull Up」のフレーズをパクったものがあるとDing Dongは訴えた。
「俺たち "RAVERS CLAVERS"は今年やるぜ!」
毎週日曜、夜11時から夜中の3時までの間、NANNYVILLEで行われている「GABBA SUNDAYS」でDing Dong達は踊っている。
「Gabba Sundays」のホストサウンドはCD SOUNDのDJ WHITEMAN。
●ニューダンスのSURF (WIPE OUT)

この記事で紹介しているニューダンス「Before Summer」の他に、
"Wipe Out"のリディムの曲で作られた「Surf」というDing Dongのニューダンスがある。

しかしFras CrewのShortmanの話によると、このSurfというダンスはWipe OutのShifterの曲にあわせて
彼自身が作ったダンスで、Ding Dingはそのダンスをパクったと訴えている。 2~3週間前のGabba Sundaysで、DJ WhitemanのMCによってDing DongのニューダンスのSurfが紹介されたが、
それよりもっと前の7週間前に行われたFoota Hypeのバースデーバッシュの時に、
ShortmanがShifterの曲でSurfというダンスを創ったらしい。
その後、Gabba SundaysでDing Dongを2~3回見かけたが、彼はその時Surfのダンスはしていなかったそうだ。
Shortmanは「サーフのボディボードのダンスをしていたのは俺だけだったし、どのダンスに行っても俺だけがSurfのダンスを踊っていたのに、Ding Dongがそれをパクった」と言う。
(写真:DANCERの"DING DONG" & "MASTRO" @PASSA PASSA 30

レポーターが、New YorkのJFK空港でDing Dongをキャッチし、その話をしたところ彼は笑うだけだった。
さらに問いただすと、Ding Dongは自分のバックの中から1冊のファイルを取り出し、1枚の新聞記事の切り抜きを見せた。
それはHard Copyの4年前の新聞記事で、Ding DongがSurfのダンスとほとんど同じ動きをしている写真が掲載されていた。 「なぜ俺がShortmanのSurfのダンスを盗まなきゃいけないんだ??俺のダンスは全部俺が創っている。
Surfのダンスはもともと何年も前に俺が創ったダンスだ。
しかもWipe outやSkettelの1つのリディムでどれだけたくさんのアーティスト達が曲を出していると思う?
Shortmanはもっと曲についての勉強が必要だな。

ボーグルが死んた後、みんなダンスに出かけなくなった。そこで俺がキーバやみんなを誘ってまたダンスを始めさせたんだ。
それにBad Man Forward, Bad Man Pull UpもDutty Wineもまだ大流行りのダンスだぜ~
Shortmanはもっとイージーさが必要だな。
奴のダンスなんてパクりたくもないね。」とDing Dongはレポーターに語っている。 最近のDing DongはBRONXで行われたSQUEEZEのショーでダンスパフォームをし、
その翌日にはROY WILKINS PARKで開催されたIrie Jam主催のセレブリティのサッカーマッチに参加。
そこで見事に彼がゴールを決め、2-1でチームの勝利が決まったとか。Ding Dongはサッカーも得意らしい。

ところで、Surfのダンスは結局誰が創ったダンスだったんでしょう?話はこれで終わり?って感じですが。
時間が解決してくれる、ということで。。。 情報:YardFlex Com.
翻訳&テキスト RUFF-CUTかずみ
BEENIE MAN INTERVIEW PT.2 FEB.2006
■BEENIE MAN INTERVIEW PT.2

BEENIE MAN INTERVIEW PT.1 の続きです。
(※)は私が付け足したコメント

来る6月、VIRGIN RECORDSからBEENIE MANの4枚目のアルバムがリリースされる予定だ。
BEENIE MANいわく、このアルバムは間違いなく100% DANCEHALLであり、その中の18トラックスは"DON CORLEONE"のプロデュースによるもの。その他にもR.KERRYとBEENIE MAN共同のプロデュースの曲も収録されているらしい。

海外のラジオステーションには、すでにプロモート用として、BEENIE MANのシングル「HUM HUM」が送られているので、あとはプレイリストにその曲が追加されるのを待っている状況だとか。これが海外のラジオでオンエアされるようになると、今度はビルボードのチャートイン入り、そしてグラミー賞ノミネートへ続くとBEENIEは説明していた。

「グラミーに選ばれることで自分が落ちるってことはまずないだろう。むしろ得ることの方が多いと俺は思うね」とBEENIE BANはグラミーのことを決して否定はしない。「今年のグラミーの予想をする限り、おれは"DAMIAN MARLEY"だと思う」と言っていた。

(※今年で48回目になるグラミーにノミネートされたレゲエ部門のアーチストは、★DAMIAN MARLEY、★SHAGGY、★SEAN PAUL、★BURNING SPEAR、★THIRD WORLDだったが、結果はビーニマンが予想したように、DAMIAN MARLEYことJUNIOR GONGが、今年の「ベストレゲエアルバム賞」と「ベストアーバンパフォーマンス賞」の2つを受賞した)

「ヴァージンとの契約は来年いっぱいまでだ。だが俺の曲はアメリカよりも、アフリカやヨーロッパやブラジルの方がもっと売れるってことをヴァージンはわかっていない。ヴァージンはもともとアメリカの会社じゃないからさ。
この契約が終わったら、俺はMAFIA HOUSEを通してSONY/EPICと契約するんだ。まずは今年マフィアハウスと契約する」とBEENIEは語っている。

年末の「STING 2006」で、BEENIEは2回パフォーマンスをした。最初のステージに現れたのは夜中の1時近く。そして2回目に現れたのは終了間近の朝8時頃。なぜならその間にセントアンズのオチョリオス近くで行われた「TEEN SPLASH」に出演するため、キングストンとオチョリオスを往復していたのだ。BEENIEはキングストンのSTINGの会場に戻ってくる途中のガーデン・パリッシュ教会で、RUFF KUTのメンバーと会ったそうだ。

「彼らは超ウィッキーでバッドなバンドだよ!まるでDeeJayそのものだね。もしRUFF KUTバンドにのせてDeeJayをやろうとしても、誰も出来ないだろうね。 サウンドなんかよりずっといいよ」とBEENIE MANは語った。

2004年1月15日にケイマナスの交差点付近で起きた車でのアクシデントにより大事故を起こしたBEENIE MANは、それ以来、夜中に自分で運転することが出来なくなってしまったそうだ。
そのため夜中にハードな運転が伴うショーは一切行っていないということだ。
(※左写真はビーニマンが乗っていたGM HUMMERの事故直後の悲惨な状態)

■大流行のダンスについて

一時のダンスブームのピークも過ぎたようだが、それでも熱狂的なダンス好き達は今もなお熱はさめずといった様子だ。
これについて BEENIEは「もちろん今でもダンスは好きだし、ダンスするのはいいと思うよ。だけどちょっとTOO MUCHだね」と語っている。

「今も男達はニューダンスを提案し、それを追っかけている。だが今はもう誰もアーチストはダンスの曲は歌ってない。
まっ、ELEPHANT MANはだけは、全部のダンスネタを歌っているけどな、笑。だがな、ダンスだけでダンスホールを存続させることは出来んのだよ」

BEENIE MANのスタイルが変わったのは5年くらい前から。
それまでの彼はあちこちのダンスに出かけては、いつも派手に着飾り、みんなからハイプなやつだと言われていた。

「派手に着飾ったビッグマンを見て嫌うやつはいないだろ。ハイプで派手なビッグマンはみんなから好かれるのさ。だからは俺はそうした。ダンスホールピープルってどんな人達のことを言うのか知っている?いかにハイプでなきゃ付き合えない連中かってことを知ってるかい?」とビーニマンは強く尋ねた。

そして2001年、WILLIAM "HOGGART" MOORE(※当時のブラックローゼスの代表、ウィリアム・ハガート氏のこと)の突然の殺害事件の直後の時期、
ビーニは冷えきったダンスホールの現場を立て直すため、精力的に活動していた。
今現在はFIRE LINKSが精力的にセッションを行っている。(※どこの駐屯地であろうと!)

ダンスに関していえば、ビーニは1990年代初期の頃からずっとダンスと関わっていた。その当時の彼はステージでタップダンスをやったりもしていた。
(※写真は左がダンサーのBOGLE、右がBEENIE MAN)

「このダンスブームは純粋な反動から起きたものだよ。ところが、その反動が大きくなり今度はダンスで金が動くようになった(ビジネスになった)もんだから、急にみんながダンスをし始めたわけだ。今のBOUNTY KILLERを見てみろよ。やつまでがダンスをしている。」
(※ボウンティキラーのニューダンス“キラーウォーク”のこと。これについてはまた後日ニュースを書きます!)


■流行をつくりだしたのは俺

「去年、俺はカーテルにダンスについて尋ねたことがある。やつはダンスはしないと言っていた。
ところが今年のSTINGで俺がカーテルにダンスの事を尋ねたらやつはダンスしてた。
つまりこういうことだ。俺がこの流行をつくりだしたんだ。
SHABBA RANKSが世界を又にかけて、先駆けしたように、俺がこの流行を先駆けたから、やつらもそれに続いた。
SHABBAが先駆けして、俺とBUJU BANTONが後に続いたようにね。
そして次にブジュがボスしたんだ。シャバはその後引っぱってはいけなかったが」とビーニマンは言った。

「そして俺はドレスアップをし始めた。ベルサーチを着て、BMW、BENZ、LEXUSに乗り、家を買った。
1992年から93年頃に流行ったアーチスト達の流行を先駆けたのは俺だ。
スーツを買って着るようになって、もう昔のようにハロウィンのようなコスチュームを着るのは止めたんだ」とBEENIE MANは語った。

「あの細いパンツを最初に履き始めたのは、誰だか知ってるかい?」とビーニマンは尋ねた。
「君らが"BATTY MAN"と呼んでいる男達だ。俺の中ではもう終わっているスタイルだがね。もう2年前にベルサーチを着るのは止めたんだ。当時はパリやマイアミ、カナダまで買い物しに行ってたよ。だがもう俺は男のために服は着るのは止めた。俺は女が好きだから。やつらもその事に気が付いた時、今度は女の子達が好きだと思う服を着るようになるさ 」

■あとがき

ここまでがBEENIE MANのインタビューのPT.2でした。とりあえず今回もここまでということで。
最後のPT.3は、STINGでのボウンティとのクラッシュの話を始め、DAVE KELLY、D' ANGEL、そしてBLACK ROSESのことなどを中心としたインタビューです。(いつの更新になるかわかりませんが。。)

(情報提供:THE STAR)
STAR紙によるアンケート結果発表「2005年の最も重要な曲は?」 FEB.2006
ジャマイカ新聞 「STAR紙」の読者を対象に
「あなたにとって2005年に最も重要なレゲエ/ダンスホールの曲は?」というアンケートを紙面上で行った。
それによって選ばれたアーチストと曲が下記のリストだ。
今回のアンケート調査では、ダンスホールのシーンに与えた影響力、リリックスの内容、社会問題との関連性、
そして現地ではもちろん国際的に認められているかどうかなど、様々な面から重要視し厳選された。
その際、曲についての議論が起き、それらの意見を簡単に編集したものが、下記のコメントである。
すべての曲が2005年にリリースされたものではないが、その年に大ヒットしたものである。
■JUNIOR GONG/WELCOME TO JAMROCK

この曲はグラミー賞にノミネートされたアルバムの中に収録されているヒットシングルだが、
果たしてジャマイカの現実について正確に歌われていたかどうか、暴力を称賛し社会におけるすべての苦難を表しているだけではないか、などの議論も起きた。
■LEFTSIDE and ESCO/TUCk EEN YUH BELLY

これはLEFTSIDE and ESCOをスターダムにのし上がらせた代表曲となったが、歌詞の中で体重のことや体型のことを言うのは問題ではないかという討論が起きた。
■JAH CURE/TRUE REFLECTION

さらに論争の的になった曲である。
この曲は人気高いアーチストJAH CUREの投獄された男の改革についてを歌っていて、その歌詞には胸が引き裂かれるような強烈なメッセージが描かれている。
■T.O.K./FOOT PRINT

この大ヒット曲はインターナショナルの市場で大きくクロスオーバーし、またT.O.K.というグループにも非常に国際的な称賛をもたらした。これは家族の上に暴力が引き起こした結末を歌っている。
■GYPTIAN/SERIOUS TIMES

この曲は社会的に厳しい現実を正確に反映した歌詞の内容なので、非常に評判が良くたくさんの人達から愛された。
■BABY CHAM/GHETTO STORY

BABY CHAMはこの曲によって大きな復帰を果たした。彼自身が経験し見てきた過去の社会状況について歌っている。
■ELEPHANT MAN/WILLY BOUNCE

これはおそらく2005年の間で最も大きなダンスヒットチューンだった。
このダンスを創った"ボーグル"は、不滅のダンサーとしての名声がタイムリーに与えられた。今や"WILLY BOUNCE"は永遠のダンスとなり、ELEPHANT MANの歌詞にある「DANCE WILL NEVER DIE」という言葉に嘘はない。
■SEAN PAUL/WE BE BURNING

SEAN PAULのニューアルバム「TRINITY」からのヒットシングル。
この曲は、海外で相当な大ヒットとなり、BETとMTVでもヘビーローテーションでオンエアされた。
■VYBZ KARTEL/EMERGENCY

これはKARTELが多才で多面的なアーチストであるということを見事に証明させた曲である。
彼の力強い歌詞は、ジャマイカでの重く苦しい社会的な政治の状況についてが描かれている。
■I-WAYNE/LIVING IN LOVE

これも人々を勇気づけるメッセージが込められた非常に良い曲である。
私たちに必要なものは愛なのだということを訴え、我々を元気づけ、また若者には犯罪など犯さず農業を営んだ方がよいとアドバイスをしている。
■SIZZLA/RASTA NAH APOLOGISE

この曲は、同性愛の権利を主張する団体より、ダンスホールの中の「同性愛嫌悪」の歌詞が問題であると指摘されたことの反論を歌っている。
SIZZLAはこの問題について、アーチスト側の沈黙を破り、一人のアーチストとして、彼らの要求に対してレスポンスを返した。
■TURBULENCE/NOTORIOUS

2005年のこのヒット曲により、TURBULENCEはDEEJAYとしてさらに注目を集めた。
また彼にしては珍しくダンスホールの中のギャングスタ現象についてを歌ったので、今までとは違う新鮮な印象を与えた。
以上が、STAR紙による「2005年の最も重要な曲」のアンケート調査の結果でした。
みなさんにとって2005年の重要な曲って何でしたか??
考えるといろいろな曲が出てくると同時に、その時のシーンや状況も一緒によみがえってきますね。
今年はどんな曲が私たちの心を揺らし踊らせてくれるんでしょうか。

(情報提供:THE STAR)
FIRE LINKS & FIRE SQUAD ANNIVERSARY と ニューリディムの「GLOBAL」 FEB.2006
昨年末、HIT STRIP ENTERTAINMENTより、FIRE LINKSの新しいリディム「GLOBAL」がリリースされた。
「GLOBAL」という名前だけあって、一般受けしそうな感じのアップテンポなビートのリディムである。

まさにHOTでエキサイティングで話題になりそうなこのオケに参加しているアーチストは、
BEENIE MAN & D' ANGELのコラボを始め、ELEPHANT MANの「BADMAN FORWARD, BADMAN PULLUP」(←これのPVのビデオシューティングは終わってるらしいので、目にするのも間近のはず!)、HARRY TODDLERやBUSY SIGNAL、すでにHITを飛ばしているトリニダード出身のBUNJI GARLIN、その他たくさんのアーチスト達が参加。
これは来そうですね~ GLOBAL!!! GOVERMENT!!!

このGLOBALリディムのリリースに伴い、HIT STRIP ENTERTAINMENT主催のパーティ「FIRE LINK and FIRE SOUND ANNIVERSARY」が2005年12月25日(日)のクリスマスナイトにRED HILL ROAD ENTRANCEのMARKET PLACEで開催された。
出演アーチストは SIZZLA、ELEPHANT MAN、BEENIE MAN、CAPLETON、BABY CHAM、BUSY SIGNAL、MACKA DIAMOND、SPICE、FANTON MOJAH、I WAYNE、NATURAL BLACKS、HARRY TODDLER、CHUCK FENDER、GHOST、GENERAL Bなど。
(写真はFIRE LINKS)
BEENIE MAN, JOHN HYPEが分裂? FEB.2006
■ BEENIE MANとJOHN HYPEが分裂!?
昨年の12月27日の朝、ポートモアのジャムワールドで行われた「STING 2006」の最後のステージでVYBZ KARTELとパフォーマンスをしたBEENIE MANは、レギュラーダンサーのJOHN HYPEと、今後はお互い別々に活動をしていくことを公表した。
(※写真下はBEENIE MAN)

「今夜からJOHN HYPEはJOHN HYPE、BENNIE MANはBEENIE MANとして別々に活動していく。最近はJOHN HYPEなしでステージを7本こなした」とBEENIE MANは語った。
「ジャマイカ国内ではJOHN HYPEとはほとんど一緒にやってない。海外でのショーとか、その他特別な時にしか一緒にやってないんだ。
JOHNはジャマイカンマネーが強い時はたいてい海外にいるし、外国マネーが強い時はジャマイカにいる。
彼がジャマイカでVAN(車)を買えばここにいるだろうし、ギャル達が周りに集まればJOHNはここにいるだろう」とBEENIE MANは説明した。

BEENIE MANとJOHN HYPEは過去2年間の間に、熱いダンスブームを作り、ダンスホールのシーンでそれらがピークに達するまで、共に活動してきた。
JOHN HYPEは「PON DE RIVER、PON DE BANK」のダンスを創ったことで一躍有名になり、ELEPHANT MANもそれと同名の曲で大ヒットを飛ばした。
そして BETでヘビーローテーションで流れた BEENIE MANの"Dude"のビデオの中でも、JOHN HYPEの「PON DE RIVER、PON DE BANK」がヒューチャーされた。


■ 何も変わってない!
ところが、THE STAR(ジャマイカ新聞)がダンサーのJOHN HYPEにインタビューをしたところ、 その話(別々に活動すること)はBEENIE MANの一方的な発言だと言う。JOHN HYPEに言わせれば、BEENIE MANから直接その話しを聞いてないから、今までと何も変わっていないと主張した。

「DOCTOR(ビーニマンのこと)が俺と一緒に仕事をしないって!?そんな馬鹿な。。。ただその場で言っただけだよ。俺にはさっぱり何のことかわからない。もし本当の話なら俺に直接言ってくるだろ。俺は本人から何も聞いてないよ。だからといってDOCTORを悪く言うつもりもない。今までと何も変わらない。
それに俺はこれからアメリカでのショーの仕事が1本あって、今から出発するところなんだ」 とJOHNは付け足した。
(※写真左はDANCER JOHN HYPE@HOTMONDAYZ PARTY AFFAIR 2K5)


■ BEENIE MAN INTERVIEW PT.1

2005年の始め、セントアンドリューのコンスタントスプリングロードで起きたBOGLEの殺害の余波によって、世間からはBOGLEの事件と何かしら関係があるのでないかと注目された。そのためにBEENIE MANとJOHN HYPEは隠遁状態となった。その後BEENIE MANはテレビに出演し、1月に起きたBOGLEの殺害事件について、自分らは何の関係もないことを主張した。

殺害されたダンサー GERALD 'BOGLE' LEVYの事件にまつわる「うわさ」のために、JOHN HYPEと共に隠遁しなければならなかったBEENIE MANにとって、2005年は決していい年の始まりとはいえなかった。夏の終わりまでジャマイカから離れて海外へと飛行した。しかし長年もめていたCAPLETONとBEENIE MANは2005年の間に"FIRE MAN'S"、"ST.MARY WE COME FROM"、"DOCTOR'S"、"SUMMER SIZZLE"などのビックイベントに一緒に共演し、二人の不和が和解した。

2005年も終わりに近づき、12月26日のBOXING DAYの日に行われた「STING 2005」でのVYBZ KARTELとのパフォーマンス、そして大晦日に行われた「THE ORIGINAL JAM JAM」でのCAPLETONやNINJA MANとのパフォーマンスにより、BEENIE MANは再びトップの位置に戻った。
(※写真左はCAPLETON)

骨折していた右手もようやく直り、次の夏に向けてVIRGIN RECORDSより4枚目のアルバムもリリースされる。
以前のようにロードダンスで彼のヒット曲がヘビーローテーションでかかるようになる準備を整えるために、BEENIE MANは1月に休暇を取った。

その休暇の間、ジャマイカ新聞「THE STAR」は、PEGASUSにてBEENIE MANの省略なしのインタビューを行った。
先週の木曜日の夜、BEENIE MANはLICK A RIDDIMのチューンにドラムをセットする手配をしていた。
THE STAR(ジャマイカ新聞)は、BEENIE MANとフィメール・シングジェイのD'ANGELが "MAFIA HOUSE PRODUCTION" で契約を交わしレコーディングした話など、最近の気になる点についてをインタビューした。

「MAFIA HOUSEとSHOCKING VIBESは別々のレーベルなんだ。」とBEENIE MANは説明した。
"MAFIA HOUSE"は、"DON MAFIA"と、"BEENIE MAN"、そしてBOUNTY KILLERの元彼女である"D'ANGEL"から成るレーベルだ。

「"DON MAFIA"は、じつは"GRINGO"のことなんだ。GRINGOは過去にNINJA MANやBOUNTY KILLERなんかとすごいクラッシュをやってた。」と説明してくれた。
2年以上前、BEENIE MANのキャンプにいたGRINGOはその後行方知らずとなっていたのだが、ここでGRINGOの所在があきらかになった。

■ 新しいイメージ

以後、GRINGOは"DON MAFIAと"改名し、服装もスポーティな細身のピンストライプのスーツといった着こなしでイメージを変えた。
「アーチストはみんなに格好よく印象づけるドレスアップが出来なければダメだね」とBEENIE MANは付け足した。

「今、SHOCKING VIBESのプロデューサーSCATTAと競い合うようなプロデューサーが山ほどいる。SHOCKING VIBESはもともとアーチストを扱うのが仕事だ。だが俺たち"MAFIA HOUSE"は歌うことだけが仕事じゃない。ところが、いいリディムを持っているのはほとんどがプロデューサなんだ。」とBEENIE MANは言った。
「だから、時々若いDEEJAYとリディムを扱う時に問題が生じる。それが暴力や犯罪にまで発展することもある。そんな時どうする?」
まだまだ解決していかなければいけない問題が山ほどあるのだ。

"MAFIA HOUSE"で今製作中のアルバムは、D' ANGELの「THE BLESSED CHILD」、DON MAFIAの「IT'S REAL」、そして今もなおSHOCKING VIBESに所属するBEENIE MANの「ME IS THE CEO OF MY COMPANY」である。
(※写真左はD' ANGEL /YARDFLEX.COM)

「アーチストを扱うというのは、イコール教育することなんだ。すべて教えていかなきゃいけない。
もしアーチストの時間が足りなければ時間調整してやる。発音が悪ければ直してやる。そういったことを俺は"DON MAFIA"と"D'ANGEL"と一緒にやっていくつもりなんだ。
たとえば 今のVYBS KARTELなんかがいい例だな。
カーテルはBAD DEEJAYだが、キラーがいろいろ教えたり、リリックスをチェックして、カーテルのためにリリックスを書いたりもした。そういうのを手助けとは言わない。協力って言う。」

「俺は、キラーがカーテルにしてやったことを高く評価している」とBEENIE MANは付け足した。

しかしボウンティを高く評価しているにもかかわらず
「ELEPHANT MANに続く今の若手アーチスト達は、いずれ俺のいる位置まで来ようとするだろう。やつらはBOUNTY KILLERにひけをとらないかもしれない。だが誰一人として俺のチューンにかなう者はいない。俺を負かすには才能で勝負するしかない」と主張した。

「キラーは、誰のことも上げることはしないだろうね。若い取り巻きを周りにつけているのは、DEEJAYにとって都合がいいからだろ?
カーテルは俺の邪魔をしたけどな。だが誰も俺以上最悪な状況に陥ることはないだろうね」とBEENIE MANは言った。

「俺のDEEJAY歴は28年。やつらより年も上だ。だがジャマイカにいるすべてのアーチストが再思案する能力があるわけじゃない。SIZZLAやCAPLETONのように」とBEENIE MANは言った。

「昨年から俺の道のりはハードだった。だからといってすぐにカーテルに俺の位置を譲るわけにはいかないんだ。なぜなら奴らはまだ若いから。奴らを仕切っていかなきゃいけないって自分自身よくわかってるからさ。」

「俺の3歳の娘はBOUNTY KILLERを知らない。BUSY SIGNALも知らない。VYBZ KATELも知らない。ASSASSINも知らない。だがBABY CHAMのことはニューチューンまで知っている。14歳の娘は俺に『ダディ、今日もラジオでダディの歌が流れないわね』と言っては仕事を続けさせようとしている。」
とBEENIE MANは語った。
(※写真左はBEENIE MAN /YARDFLEX.COM)

■あとがき
ここまでが最近のBEENIE MANのインタビューのPT.1でした。じつはこのBEENIE MANのインタビューは "PT.3"まで続きます。
とりあえず今回はPT.1までということで。もし続きが読みたいという方がいたら、BBSにでもご一報ください。
気合いと時間があったら続きを書くかもしれません。

(情報提供:THE STAR)
Peaceful Sting 2006 at Jamworld -Sting 2005リポート- JAN.2006
左写真は2005年12月26日にセントキャサリンのポートモアにあるジャムワールドにて開催されたSting 2006でのステージの様子。
昨年キングストンのダウンタウンでレイプされ殺害された6歳の少女の写真をステージでかざすMr. Vegas。(写真撮影: CARLINGTON WILMOT氏)

大勢集まったオーディエンス達の背後に朝日が登り始めた頃、GUINNESS STING 2005(ギネス主催スティング2006)はエンディングに入り、BEENIE MANとVYBZ KARTELがかわるがわる連発するリリックスに、多数の観客達は興奮してやまなかった。

セレクターのGLAMOUR WAYNEとMCのNUFFYが、子供達を犯罪から守るためのマニュアルを読み上げたりと、ピース、ラヴ、ユニティを訴えるための努力を惜しまなかった。

中でも、銃の事だけでなくGHANDI などを歌うAIDONIAには、たくさんの火が着いた。
またPRODIGAL SUNのクリスチャンソングでは観客達がジーザスのためにジャンプしたり、まるで教会のお祭りのようだった。

最後の取りの前に現れたNINJA MANでさえ、この日はピースな様子だったが、「今年はバウンティはキルするが、ビーニはしない」などの発言から興奮して火が着いた。ニンジャは警察長官のRENETO ADAMS氏をステージに呼び、自分の銃を返すよう要求したが、アダム氏は観客席の後方のTHE GLEANER (ジャマイカ新聞) チームの場所に隠れるようにいて、ステージには上がらなかった。余談だがアダム氏は昨年12月に曲をリリースしたそうだ。

前回のスティングでクラッシュになったニンジャとカーテルだが、今年はビーニマンがステージからニンジャは去るように言ったので中断になった。今回のステージでもいくつかのスラングは使われていたものの、ひどい罵り言葉はなかった。今年のスティングも最後まで突っ走り、終了したのは翌朝の8時7分だった。

多少時間延長はあったものの、いつものスティングとは違ったセグメントで、メッセージの強いシンガー達によるショータイムが設けられた。
かなり早い時間からたくさんの観客達が集まり、 FIRST BORN (ガイアナ出身の6人グループのアーチスト) が彼らのヒット曲の「IRATES」を歌ったのは夜22時を過ぎた頃だった。ANTHONY CRUZの曲「TRULY A BLESSING」にはみんなが共感していた。
またHALF PINTの「GREETINGS」では皆が身体を揺らし、「FOR THE LEADERS」を歌うLUCIANOに高く評価していた。
ちょうど午前2時を過ぎた頃、PINCHERSが大ヒット曲「AGONY」や「MORNING RIDE」を歌い、みんなが楽しんでいた。
左写真はFOR THE LEADERSを歌うLICIANO。

■熱狂的なオーディエンス達

RICHIE SPICEが「BLOOD AGAIN」を歌った時、会場のあちこちで炎が燃え、爆竹が鳴り、轟音を響かせ、リッチースパイスは歓迎された。また同様に、はっきりと明確に上手く韻を踏むリリックで歌うAIDONIAの「PROUD A YU GHETTO」や「LOLLY」は、皆を励まし、それはすばらしいステージだった。
写真左はAIDONIA。

「STEP OUT」が大ヒットのBUSY SIGNALは全身黒で決めて登場し、LA LEWISと「MI NO KNOW YU TUNE, BUT YU GRAFFITI DEM BAD EEH」などのジョークを歌った。

「CRY FOR MY PEOPLE EVERY DAY」を最初に歌ったCHUCK FENDERに、歓呼の声が上がった。
「THOSE WHO LOVE MAMA」や「SERIOUS TIME」を歌うGYPTIANにオーディエンス達は心を打たれていた。
TURBULENCEとSASHAは一緒に「LOVE OTHERS HAVE BEEN SEARCHING FOR」を歌い、
ALOZADEのステージの最中に現れた KIPRICHは「LIQUERE」を歌った。
キップリッチがどんな女の子に興味があるか述べて「みんなはエレファントマンがどんな女の子に興味があるか知りたくないか?」と観客に問いたところ、返答は「NO ̄!!」キップリッチは皆のクラップハンズとともにステージから退場した。

FANTAN MOJAHの歌に対するオーディエンスからの穏やかな反響とは対照的に、朝の空に爆竹が鳴り響いた。
しゃがれ声のASSASSINは「EDDIAT TING DAT」を繰り返し歌った。

■ハードコアな女性アーチスト達

早い時間には、素敵な女性ダンスホールアーチストのRUFFIAN、SPICE、LADY SAWなどがハードコアなステージを見せた。
FACEは間違ったことを言ってなかったが、彼女の「A WHE DE MAN WHO CAN WUK DEM MAN RIGHT」のリリックに観客から笑いのどよめきが起きた。またMACKA DIAMONDと一緒に「BUN HIM」を歌ったBLACKERはステージから下がれとヤジを入れられていた。
写真左はLADY SAW、写真右はMACKA DIAMOND。

夜10時45分にステージが予定されていたBEENIE MANは、結局午前1時近くになって初めて現れた。
SHANE-Oは「AYIYIYIYI」を、NANCOは「LUCKY YOU」を歌い、高く評価された。
また「REBEL IN ME」と「A REGGAE BROKEN ARROW」を歌うNODDY VIRTUEには、本当に歓呼の声が上がっていた。

この日、会場では黙祷(もくとう)が捧げれた。キングストンのダウンタウンでレイプされ、殺害された6歳の少女の死に対して敬意を表し、MR.VEGASが少女の大きな写真をステージでかざし、会場はライターの火と炎で燃え上がった。

その夜の出演バンドはLIVE WYYA、KAUSHAN、RUFF KUT、ホストMCはDENISE MILLER、SHAKA FAME、RAGASHANTI、NUFFYとNUFFIESHA。
THE KING OF THE DANCEHALLで知られるBEENIE MAN は、今年もヘッドラインアーチストの一人としてステージに立った。

以上、GUINESS主催「STING 2006」の報告でした!

(情報提供: THE GLEANER 写真撮影:CARLINGTON WILMOT)
VYBZ KARTEL 電撃結婚!! JAN.2006
2006年最初のジャマイカニュースはめでたいネタということで「カーテルの電撃結婚」のニュースから!

昨年12月、キングストンのセントアンドリューにあるトレベニオンパークでは、一流DeeJay、Mr. PalmerことVYBZ KARTEL(ヴァイブスカーテル ※本名Adidjah Palmer)の結婚式と披露パーティが行われた。

写真左はプライベートな披露パーティでのヴァイブスカーテルと、そのフィアンセのステイシー・エリオット。
豪華な白のシルクのドレスを身にまとっているのが新婦のステイシー。
彼女はニューヨークのブロンクスに在住する31歳の銀行員の女性。
一方、カーテルはバッドな匂いを漂わせる黒のスーツに白のシャツを合わせ、ブリンブリンのジュエリーをつけて、白のイタリア製のレザーシューズでサグスタイルを決めている。
(※写真撮影:カーリントン・ウィルモット氏)

ジャマイカ新聞「THE WEEKEND STAR」のインタビューによると、
カーテルは先週、いきなり結婚することを決意。ジャマイカで式を挙げるためにニューヨークに住むステイシーを急遽呼んだそうだ。カーテルいわく彼女の花婿には自分が一番ふさわしいと思って結婚を決めたとか。

「 すべてうまくいってるし、何より彼女を愛してる。俺は幸せもんさ。結婚はすばらしい!」
と花嫁ステイシーの手をにぎにぎしながら、興奮ぎみにインタビューに答えるカーテル。
結婚披露パーティでは、彼の息子と花嫁のステイシーと一緒に写真撮影をしたり、仲間達とジョークをかわしていたらしい。

カーテルと花嫁のステイシーは、2001年にブルックリンで行われたボウンティキラーのステージショーで初めて出会い、その後二人はすぐに交際を始めた。

「初めてステイシーと会った時に、彼女はスペシャルだってすぐに気付いたね。それからしょっちゅう電話で話すようになって‥。もちろん彼女はグルーピーとかじゃなくて、俺たちは少しずつ真剣に恋に落ちていったんだ。遠距離恋愛だったけど、俺がニューヨークに行く時は、ずっと一緒にいるよ。お互い話もよくするし、時には議論しあったりもする。それに彼女にも自分の仕事(銀行員)があるからね。
あぁ…愛っていうのはなんてすばらしいんだ‥そうだろ??ガハハハ‥
頼むから話をこじらせないで報道してくれよ。サグも恋に落ちるってか!?」
とカーテルは大笑いしながらインタビューに答えた。二人のハネムーン先はモベイだそうだ。

「今日は待ちになった結婚式だからな。何もこわいものなんてないさ。
まっ、俺もいつまでも若いノリでやってられないってことだ。イメチェンってやつだな。
ファンの女の子達は俺を取られたって思うかもしれないが、きっとわかってくれるって信じてるよ」
とカーテルは笑った。
(写真左:JAMAICAN MUSIC VIDEO VOL.44より)

カーテルの花嫁ステイシーはキングストンで育ち、8歳の時にアメリカ合衆国へと移住した。
「彼の性格が好きなの。一緒にいて楽しいし、彼には愛があるから。それに頭がいいわ。
本人は気付いてないみたいだけど!彼にはすばらしい才能があるの。初めて会った時から、私は彼に夢中になったわ。先週彼から突然のプロポーズを受けた時は、不思議なことに驚かなかった」
とステーシーは語った。
ステイシーはハネムーンの後、一緒に新年を迎え、ブロンクスに帰国する予定。

ところで来週開催されるSTINGの前に結婚なんてしちゃって、軟弱なDeeJayになってしまうのでは??との質問に、カーテルは
「おい何いってんだい!? 来週のスティングも俺様がステージに立てばみんなマショップするに決まってるわ!スティングは俺様の場所だぜ。今から楽しみで仕方ないよ、ガハハハ‥」
と余裕をかますカーテルでした。
次号のジャマイカニュースでは「STING 2005」の記事を紹介します。お楽しみに♪

今年も「ジャマイカニュース」を宜しくお願いします。

(情報提供: Jamaica Star Com)

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