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    EME AWARDS 2006

    今回のジャマイカニュースではEMEアワードにノミネートされているアーティスト達をリストアップしたものを紹介したいと思う。

    2006年 EMEアワードでは、"TANYA STEVENS"がすでに4つの賞にノミネートをされ、断然リード。

    EMEとは、もともとTHE EXCELLENCE IN MUSIC AND ENTERTAINMENTの略であるが、
    このEME AWARDS 2006にノミネートされているアーティストは下記のとおり。

    【カテゴリー】ノミネート候補者

    1) DJ OF THE YEAR (MALE):
    2006年ベストDJ(男性)

    ●BUJU BANTON
    ●TONY MATTERHORN
    ●CAPLETON
    ●BABY CHAM
    ●VYBZ KARTEL
    ●BEENIE MAN

    ファイル 195-1.jpg
    ※写真: BUJU BANTON

    2) DJ OF THE YEAR (FEMALE):
    2006年ベストDJ(女性)

    ●SPICE
    ●MACKA DIAMOND
    ●LADY SAW
    ●CECILE
    ●LADY G

    3) VOCALIST OF THE YEAR (MALE):
    2006年ベストボーカリスト(男性)

    ●GYPTIAN
    ●DAVILLE
    ●RICHIE SPICE
    ●WAYNE MARSHALL

    4) VOCALIST OF THE YEAR (FEMALE):
    2006年ベストボーカリスト(女性)

    ●ALAINE
    ●TESSANNE CHIN
    ●CHERINE ANDERSON
    ●ETANA
    ●TANYA STEVENS

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    ※写真:TANYA STEVENS

    5) PRODUCER / LABEL OF THE YEAR:
    2006年ベストプロデューサ/レーベル

    ●SHANE BROWN/ JUKE BOXX
    ●DONNOVAN BENNETT / DON CORLEONE
    ●SUPER HYPE / HYPERACTIVE
    ●DAVE KELLY / MAD HOUSE
    ●CHRISTOPHER BIRCH / BIRCHILL
    ●ROBERT LIVINGSTON / BIG YARD

    6) BEST NEW ARTIST (MALE):
    ベスト新人アーティスト(男性)

    ●RAS MYRHDAK
    ●MAVADO
    ●TONY MATTERHORN
    ●HIT LIST
    ●LION CUB
    ●COLLIE BUDDZ

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    ※写真:MOVADO

    7) BEST NEW ARTIST (FEMALE):
    ベスト新人アーティスト(女性)

    ●ETANA
    ●TESSANNE CHIN
    ●HEATHER CUMMINGS
    ●CHERINE ANDERSON
    ●JOVI ROCKWELL

    8) DUO/ GROUP OF THE YEAR:
    2006年ベストグループアーティスト

    ●TOK
    ●MORGAN HERITAGE
    ●VOICE MAIL
    ●SUGAR ROY / CONRAD CRYSTAL
    ●BONAFIDE

    ファイル 195-4.jpg
    ※写真:T.O.K

    9) BIGGEST COME BACK ARTIST:
    ベストカムバックアーティスト

    ●PINCHERS
    ●FUTURE FAMBO
    ●BLACKER
    ●MR VEGAS

    10) SONG OF THE YEAR:
    2006年ベストソング

    ●BUN HIM
    ●DUTTY WINE
    ●GASH DEM AND LIGHT DEM
    ●THESE STREETS
    ●GHETTO STORY
    ●TOPPA TINGS

    11) TOP INTERNATIONAL ARTIST:
    トップインターナショナルアーティスト

    ●BABY CHAM
    ●SEAN PAUL
    ●JUNIOR GONG
    ●SHAGGY
    ●BEENIE MAN
    ●BUJU BANTON

    12) ALBUM OF THE YEAR:
    2006年ベストアルバム

    ●GHETTO STORY -- BABY CHAM
    ●REBELUTION -- TANYA STEVENS
    ●HEY -- VOICE MAIL
    ●JMT -- VYBZ KARTEL
    ●AIN'T GONNA SEE US FALL -- SIZZLA

    13) MOST CULTURAL ARTIST:
    ベストカルチュラルアーティスト

    ●I - WAYNE
    ●RICHIE SPICE
    ●CHUCK FENDER
    ●JAH MASON
    ●LITTLE HERO
    ●GYPTIAN

    14) SONG WRITER OF THE YEAR:
    2006年ベストソングライター

    ●TANYA STEVENS
    ●BUJU BANTON
    ●BABY CHAM
    ●DAVILLE
    ●VYBZ KARTEL
    ●WAYNE MARSHALL

    15) BREAKTHROUGH ARTIST OF THE YEAR:
    2006年最も飛躍的だったアーティスト

    ●MAVADO
    ●TONY MATTERHORN
    ●ALAINE
    ●BUSY SIGNAL
    ●QQ
    ●PROPHECY

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    ※写真:BUSY SIGNAL

    RICHARD 'RICHIE' BURGESS(リチャード "リッチー" バージェス)のホストで運営されるHOT 102FMの番組「HOT MIX」では、
    2006年のレゲエミュージックとエンターテインメントの産業における、トップ・ジャマイカンパフォーマーと達成者達を表彰する予定。

    このHOT 102 FMのスタジオにて、2006年のEMEアワード賞と一緒に、2006年のTOP50が表彰される。

    時間は2007年2月9日金曜日の午後2時から5時、
    HOT 102 FMの番組「HOT MIX」での表彰の前にはもちろん多くの予想が行なわれる。

    またノミネートされているすべての曲が紹介されるので、
    当日はエキサイティングな楽しいプログラムになるのは間違いないであろう。

    情報:YARDFLEX
    翻訳:RUFF-CUTかずみ



    BOB MARLEYの息子達によるSMILE JAMAICAがNINE MILESで開催!

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    1976年にBOB MARLEYが有名な大スターとして知られるようになった伝説的なコンサート「SMILE JAMAICA」を、マーリーの息子達であるSTEVEN、KY-MANI、JULIAN、DAMIANの4人が行なうことが決まった。

    (写真は左からジュリアン、ダミアン、ジギー、スティーブン)

    「SMILE JAMAICA CONCERT」は、BOB MARLEY WEEK(2月4日~2月11日)の2月10日(土)に開催される予定である。

    開催場所は、マーリーの生誕の地、セント.アンズのナイン・マイルズ。

    ジャマイカ国内で、マーリーの4人の息子達がそろってステージに立つのは、これが初めてとなる。

    そのコンサートで4人の息子達はそれぞれ各自のセットでのショーを行なう予定。

    また、 このコンサートに出演する予定のアーティストは、 COCO TEA、BOUNTY KILLER、PERFECT、CHEZIDEK、WAYNE MARSHALL、ETANA、そしてSTONELOVEなどが確認出来ている。

    30年前に行なわれた「SMILE JAMAICA」は、キングストンのナショナルパークでショーが開催され、有名なコンサートとなった。

    そのコンサートが開催される前日の晩、マーリーは銃で襲われた。

    彼は身の危険を察知し、翌日のコンサートで最初は1曲だけを歌うつもりでいたが
    もう戦いは始まっているのだと、結局90分という長い時間のショーをすることになった。

    このコンサートには、8万人の人が集まったと言われている。

    そのショーで、人々は元気づけられ、会場はポジティブなVIBESに満ち溢れていたそうだ。

    今年の2月6日で62歳を迎える偉大なるマーリーの誕生日を称讃するためのコンサートやシンポジウム、映画ショーなどのイベントが、BOB MARLEYミュージアムやTUFF GONG INTERNATIONAL、トレンチタウンにあるカルチャーヤード、ナインマイルズなど各地で開催される予定。

    ▼日本国内でも2007年2月11日(日)、静岡県浜松市にあるPlanet Cafeで、恒例のBOB MARLEY BIRTHDAY FES.が開催される。

    この日は、現在海外で活動中のCJをゲストに呼び、静岡を拠点に活動しているサウンドやアーティスト達が集まり、ボブマーリーに感謝の夜を捧げる。

    ファイル 196-2.jpg
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    (情報:THE JAMAICA OBSERVER)
    翻訳:RUFF-CUTかずみ



    レゲエミュージックにおけるサウンドシステムの重要性

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    レゲエミュージックに不可欠なサウンドシステムは、音楽産業の重要な伝達手段となっている。

    常に正しいVIBESをもたらすことはもちろん、それ以上にサウンドシステムはレゲエとダンスホールミュージックの広がりを普及させてきた。

    例として、サウンドのCOOPER SHOT(クーパショット)は、アーティストのSEAN PAULと一緒に、マルティニクやルクセンブルク、スイス、ドバイ、カナダなど、世界中をツアーしている。

    「俺たちは世界中をツアーしてまわった。レゲエミュージックは至る所で広がり続けているよ。
    多くのサウンドは海外でも活動している。

    なぜなら今ジャマイカでは何が起きているのか、みんなは知りたいからサウンドシステムに集まるんだ。
    俺たちはそこで最新のチューンをみんなに紹介する。
    そんで、みんな最新のダンスが何なのかを知りたいから、俺たちがそれを伝える。」
    とCOOPER SHOT(クーパショット)のMATTHEW GRAY(マシューグレイ)が言った。

    ●クラッシュでの評価

    マイティクラウンのマネージャーのDAMION WONG(IRISH & CHIN) や、他多数のクラッシュサウンドも同様に世界中をまわっている。

    地元(ジャマイカ)では、ジョグリンサウンドとして、世界中にツアーに出ているのは、唯一 「STONE LOVE」と「SWATCH INTERNATIONAL」だけである。

    サウンドは、クラッシュをやることで世界に認知されるようになるため、クラッシュサウンドのみが、ツアーに出れるようになるのだ。

    「クラッシュサウンドは、日本を始め、スウェーデン、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、ガーナ、イタリアなど、多くの場所を旅している」とDAMIONが言った。

    CASH MONEYのScratchy Bもまた、イングランド、カナダ、アメリカ合衆国を旅したと語っている。
    「俺たちは毎年ツアーに出ている。少なくとも3ヶ月に1回は海外のツアーに出ているよ」

    サウンドは海外にツアーに出る以外にも、地元から世界中にレゲエミュージックを普及するための活動に努めている。

    STONE LOVEが主催するWEDDY WEDDYやSWATCH INT'Lが主催するPASSA PASSA、最近ではDUTTY FRIDAZEなど、
    他にもたくさんのロードダンスをキープするサウンドが多数増加している。

    このようなロードダンスに集まった大勢の人達の前で最新の曲がプレイされ、そこにいるダンサー達が曲に合わせて新しい動きを創り出し、たくさんのニューダンスが出来上がる。

    COOPER SHOTのGRAYの話によると、
    トレンチタウンで開催されたクリケットチームのワールドカップの試合で、彼らがサウンドのプレイを依頼されたことから、
    観光客がジャマイカの音楽を聴くきっかけとなったが、このような活動が非常に重要になっていると強調した。

    ●音楽制作会社

    COOPER SHOTのGRAYは続けて語った。

    「今、多くのサウンドがスタジオを作っている。そこで新しいアーティストを探している。
    ラジオでオンエアするより、サウンドシステムで曲をかける方がアーティストをボスさせるのは簡単だからさ。」

    IRISH & CHINのDAMIONがそれに同意し、また主張した。

    「サウンドシステムは、アーティストが自己表現出来る場所になっているから、ローカルではレゲエビジネスを築く大きなメディアとなっている。
    ラジオ局のほとんどは、DJが曲を紹介してもVIBESが低いし、効力も弱い。
    しかも、ラジオでかかるようになる前に、すでにサウンドシステムがその曲をかけていて、ボスさせていることが多い。
    要するにサウンドシステムはレゲエの使者みたいなもんだ。」

    また、今までにたくさんのアーティストを自分らのMIX CDでボスさせてきたというCASH MONEYのScratchy Bは
    「サウンドシステムでプレイすることが、大きな需要となっているから、アーティストがボスするようになる。
    もしサウンドがいなかったら、こんなに多数のアーティストの曲を聴くことは無理だ。
    本当にサウンドとMIX CDは、ラジオ局より先に、大多数のアーティスト達をボスさせている。
    サウンドシステムは、非常に重要な役割を果たしているってことだよ。 」

    しかし、音楽産業に対する彼らの成果と重要性にかかわらず、サウンドのほとんどがしばしば最前線のアーティストとしては認められていない。
    だがセレクターとしての彼らは言う。

    「それはビジネスのほんの一部にすぎないんだ」

    (情報:JAMAICA STAR)
    翻訳:RUFF-CUTかずみ



    VYBZ KARTEL - MOVADOを撃ったことを全面否定

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    日曜日の夜、ダンスホールアーティストのVYBZ KARTEL(本名 ADIJAH PALMER)が、
    CASSAVA PIECEで、MOVADOとその取り巻きに向けて銃撃したという告発について、カーテルは全面否定している。

    カーテルはその日、PORTMOREのWATERFORDで開催された"サプライズ バースデーパーティ"(カーテルに内緒で計画された彼の誕生会)に出席していた。

    「俺はその事件のあった日、約400人もの人達と一緒に、サプライズ バースデーパーティに出席していた。
    人気アーティストと一緒に、俺のBMWに乗って、有名な場所に行ってたんだ。」

    この件はカーテルのキャリアを妨害し続けている"ALLIANCE"の計画的な陰謀であると彼は訴えた。

    「ヤツらが俺の名前を犯人に挙げているって聞いた時、またいつものやり方だと驚きもしなかった。
    実際、奴らとはリリックワーがずっと起きているが、あいつらの中傷は音楽の領域を超えている。
    これは、俺の発言に対して、俺を陥れるためのALLIANCEの陰謀だよ」
    とカーテルは言った。

    しかしダンスホールアーティストのMOVADO(本名 DAVID BROOKS)は、カーテルとはまったく違うことを語っている。

    今回の銃撃事件の関与にカーテルが直接関わっていると彼を非難しているのだ。

    「PATRICIA (ADIJAH) PALMER(カーテルの本名)は俺たちのコミュニティにやって来て、車で通り過ぎた。
    その時にヤツが撃った弾が、コミュニティの仲間の足に擦り、傷を負わした。
    もし本物のギャングが撃ってたとしたら、はずすわけがない。
    ST. ANDREWのCASSAVA PIECEで起こった事件のことを言ってるんだ 」
    とMOVADOは言った。

    ●ブリーチした肌の顔を目撃した!

    警察は、午後8:30頃、CASSAVA PIECEのガリーバンクとして知られる場所に、
    黒い車に乗った人気アーティストを含む男のグループがいたと確認している。

    車内にいた男達が、銃を振り回し、そこにいたグループに向って数発の銃弾を撃ち、一人の男性の足に当たったことも主張している。
    撃たれた男は、すぐに病院に運びこまれ手当を受けた後に退院した。

    警察は、事件の調査は早まっていると言っているが、真相はアーティスト同士の争いだと指摘する。
    また、その事件に関与しているガンマン達は、そこの居住者ではないことも特定している。

    事件の目撃者であるMOVADOは、黒のBMWの車内には、肌をブリーチして斑な皮膚のカーテルの顔が見えたと言っている。

    「みんなカーテルの顔を車内で見たって言ってる。
    その車が通り過ぎた時、車内にはブリーチした肌の顔が見えたのを俺は覚えているんだ。
    そいつは間違いなくカ-テルだった。
    BMWのタイヤもカーテルと同じものだった。
    だが、今ヤツの車は全部変えた。
    何故だ?? 」
    とMOVADOは尋ねた。

    今回の事件に拍車がかかったのは、MOVADOが最近リリースしたカーテルへのアンサーソングが原因だと言う。

    そのアンサーソングが元で、カーテルがMOVADO本人と彼のコミュニティに対し反撃したのだと・・・

    「カーテルにアンサーソングを返したまでは音楽のレベルだと言えるが、今回の事件は音楽のレベルとはまったく違うと思うね。
    ブリーチした肌のPATRICIA PALMER(カーテル)が一人の男を銃撃したことで、ヤツはアーティストとしてのキャリアを失ったんだ。 」

    「ヤツが車内から銃撃して、ストリートにいた俺の仲間を撃ったんだ。
    この事は、STAR紙(ジャマイカの新聞)の第一面に掲載するべきだ。」とMOVADOは言った。

    ●ボウンティの"バッドマインド"な指図

    ファイル 198-2.jpg一方、日曜日は、32歳の誕生日を祝ってもらっていたと言うカーテルだが、
    そのパーティの主催者から昼間はサッカーのイベントに誘われ、夕方からは誕生会に出席していた。

    カーテルは「すべては"ALLIANCE"のリーダーであるBOUNTY KILLERのBAD MINDな指図から起こったことだ」と繰り返し言っている。

    「これはALLIANCEとBOUNTYによる計画的な陰謀だ。
    だが、ヤツらの計画はうまくはいかない。
    ヤツらはたくさんの人達をDISSってるが、天罰はどこから来るのかわかってない 」 とカーテルは言った。

    MOVADOからどれだけ言われようが、
    カーテルの音楽的才能には、未だ高い評価があると彼自身主張している。
    (カーテルは肌をブリーチしてるとかインファーマだとか女だとかMovadoに歌われている)

    「ヤツ(MOVADO)にも才能はあるし、明るい将来もあるだろう。
    だがヤツがギャング人生から抜け出さない限り、
    俺のような本物のスターにはなれないだろうね」とカーテルは言った。

    (情報:STAR紙)
    翻訳:RUFF-CUTかずみ



    STING 2006でのクラッシュの行方は・・・

    ファイル 199-1.jpg

    ジャマイカファンのみなさん、あけおめです☆

    さて年末は日本と同様にジャマイカでもビックイベントが目白押し。

    中でも注目されていたのは、BEENIE MAN vs BOUNTY KILLERのDEEJAY CLASHが期待されるSTING!

    そこで、2007年初ニュースのトピックは恒例のSTING 2006リポートを取り上げたいと思います。

    2006年のBOXING DAYにセント・キャサリンのポートモアにあるJAM WORLDで開催されたSTING 2006。

    オーディエンスの大半が期待していたアーティストはBUJU BANTON!

    ブジュのステージが予定されていた午後11:45という早い時間帯にもかかわらず、大勢の観客が会場に集まった。

    エントランスが混雑して中に入れない観衆がスムーズに入場できるよう、MCのSHAKA FAMEが会場内にいる観衆に移動を促していた。

    実際にBUJUがステージに現れたのは深夜1:00近くだった。
    BUJUは、今大ヒット中の「DRIVER」や、みんなが大好きな「DESTINY」を歌い、大喝采を浴びた。

    また「OPERATION ARDENT」や「MAN FI DEAD」「IT'S NOT A EASY ROAD」など、昔のヒットチューンで会場を揺らした。
    そして「Psalm 23」 の終わりのパートを口ずさみ、最後は精神的なステージとなった。
    「まだまだ朝までずっと歌い続けられるけど、今夜はここでやめておくよ」 とBUJU。
    楽しい時間はあっという間に過ぎ、ブジュのステージはその夜の最も長いショーとなった。

    早朝にステージに現れたトップDEEJAYのELEPHANT MANとCAPLETONのショーに 観衆は苛立ち、ハードコアなSTINGファンは気に入らない様子だったが、
    すぐにはストライキを起こさず、寛大な見解を示していた。

    「FULL CLIP」を歌ったMOVADOや「SEN ON」を歌ったVYBZ KARTELを支持する、STINGファンは多かった。

    順調なMOVADOとKARTELのステージショーだったが、
    途中でERUPTが現れ「SAY DEM A GANGSTA」や「GAL A RUN DEM HEAD」などの曲を歌い、会場は爆発した。

    BUJU BANTONのステージの後に現れたStitchieが言った。
    「ジーザスの名において、私は平和を唱えます。もし平和を望むのなら、私の話に耳を傾けてください」

    会場からStitchieに拍手が送られた。
    しかし、観衆のほとんどは "DEEJAY CLASH"を見たい渇望があったのは明らかだった。

    そこで、WAYNE MARSHALLが歓呼しながらライターに火を点けた。
    「高い金払って、今夜のクラッシュでどのDEEJAYが殺されるのかを見に来ているオーディエンスは、ガンフィンガーして見せてくれ!」

    観衆から喝采が起こり、(喜びのあまり)気が狂ったようになって騒ぎだした。

    ファイル 199-2.jpg

    結局、BEENIE MANは最大のライバルであるBOUNTY KILLERの恒常的な要求に応じなかったため、
    オーディエンスが期待するような展開にはならず、支払った代金のステージを見ることは出来なかった。

    その後、ビー二マンはボウンティが元彼女(現在のビーニの妻であるD'ANGELのこと)を物に出来なかったことや、
    彼女が妊娠したことにボウンティが熱烈な反応を示すことなどをからかったリリックを歌い、
    それに対抗したボウンティがビーニと決定的なクラッシュをするためにステージに出てこようとしたので、ビーニはステージからさっさと引き下がった。

    (情報:Jamaica Gleaner)
    翻訳:RUFF-CUTかずみ

    ファイル 199-3.jpg

    GUINNESS STING 2006のDVDはこちらで購入出来ます。
    ※サンプル動画あり



    BEENIE MAN INTERVIEW PT.2

    ファイル 200-1.jpg

    ■BEENIE MAN INTERVIEW PT.2

    BEENIE MAN INTERVIEW PT.1 の続きです。
    (※)は私が付け足したコメント

    来る6月、VIRGIN RECORDSからBEENIE MANの4枚目のアルバムがリリースされる予定だ。

    BEENIE MANいわく、このアルバムは間違いなく100% DANCEHALLであり、その中の18トラックスは"DON CORLEONE"のプロデュースによるもの。その他にもR.KERRYとBEENIE MAN共同のプロデュースの曲も収録されているらしい。

    海外のラジオステーションには、すでにプロモート用として、BEENIE MANのシングル「HUM HUM」が送られているので、あとはプレイリストにその曲が追加されるのを待っている状況だとか。これが海外のラジオでオンエアされるようになると、今度はビルボードのチャートイン入り、そしてグラミー賞ノミネートへ続くとBEENIEは説明していた。

    「グラミーに選ばれることで自分が落ちるってことはまずないだろう。むしろ得ることの方が多いと俺は思うね」とBEENIE BANはグラミーのことを決して否定はしない。

    「今年のグラミーの予想をする限り、おれは"DAMIAN MARLEY"だと思う」と言っていた。

    (※今年で48回目になるグラミーにノミネートされたレゲエ部門のアーチストは、
    ★DAMIAN MARLEY
    ★SHAGGY
    ★SEAN PAUL
    ★BURNING SPEAR
    ★THIRD WORLD
    だったが、結果はビーニマンが予想したように、DAMIAN MARLEYことJUNIOR GONGが、今年の「ベストレゲエアルバム賞」と「ベストアーバンパフォーマンス賞」の2つを受賞した)

    「ヴァージンとの契約は来年いっぱいまでだ。
    だが俺の曲はアメリカよりも、アフリカやヨーロッパやブラジルの方がもっと売れるってことをヴァージンはわかっていない。
    ヴァージンはもともとアメリカの会社じゃないからさ。
    この契約が終わったら、俺はMAFIA HOUSEを通してSONY/EPICと契約するんだ。
    まずは今年マフィアハウスと契約する」とBEENIEは語っている。

    年末の「STING 2006」で、BEENIEは2回パフォーマンスをした。
    最初のステージに現れたのは夜中の1時近く。そして2回目に現れたのは終了間近の朝8時頃。
    なぜならその間にセントアンズのオチョリオス近くで行われた「TEEN SPLASH」に出演するため、キングストンとオチョリオスを往復していたのだ。

    BEENIEはキングストンのSTINGの会場に戻ってくる途中のガーデン・パリッシュ教会で、RUFF KUTのメンバーと会ったそうだ。

    「彼らは超ウィッキーでバッドなバンドだよ!まるでDeeJayそのものだね。
    もしRUFF KUTバンドにのせてDeeJayをやろうとしても、誰も出来ないだろうね。
    サウンドなんかよりずっといいよ」
    とBEENIE MANは語った。

    2004年1月15日にケイマナスの交差点付近で起きた車でのアクシデントにより大事故を起こしたBEENIE MANは、それ以来、夜中に自分で運転することが出来なくなってしまったそうだ。
    そのため夜中にハードな運転が伴うショーは一切行っていないということだ。

    ファイル 200-2.jpg
    (※写真はビーニマンが乗っていたGM HUMMERの事故直後の悲惨な状態)

    ■大流行のダンスについて

    一時のダンスブームのピークも過ぎたようだが、それでも熱狂的なダンス好き達は今もなお熱はさめずといった様子だ。
    これについて BEENIEは
    「もちろん今でもダンスは好きだし、ダンスするのはいいと思うよ。
    だけどちょっとTOO MUCHだね」と語っている。

    「今も男達はニューダンスを提案し、それを追っかけている。
    だが今はもう誰もアーチストはダンスの曲は歌ってない。
    まっ、ELEPHANT MANはだけは、全部のダンスネタを歌っているけどな、笑。
    だがな、ダンスだけでダンスホールを存続させることは出来んのだよ」

    BEENIE MANのスタイルが変わったのは5年くらい前から。
    それまでの彼はあちこちのダンスに出かけては、いつも派手に着飾り、みんなからハイプなやつだと言われていた。

    「派手に着飾ったビッグマンを見て嫌うやつはいないだろ。
    ハイプで派手なビッグマンはみんなから好かれるのさ。
    だからは俺はそうした。ダンスホールピープルってどんな人達のことを言うのか知っている?
    いかにハイプでなきゃ付き合えない連中かってことを知ってるかい?」
    とビーニマンは強く尋ねた。

    そして2001年、WILLIAM "HOGGART" MOORE(※当時のブラックローゼスの代表、ウィリアム・ハガート氏のこと)の突然の殺害事件の直後の時期、
    ビーニは冷えきったダンスホールの現場を立て直すため、精力的に活動していた。
    今現在はFIRE LINKSが精力的にセッションを行っている。
    (※どこの駐屯地であろうと!)

    ダンスに関していえば、ビーニは1990年代初期の頃からずっとダンスと関わっていた。
    その当時の彼はステージでタップダンスをやったりもしていた。

    「このダンスブームは純粋な反動から起きたものだよ。
    ところが、その反動が大きくなり今度はダンスで金が動くようになった(ビジネスになった)もんだから、急にみんながダンスをし始めたわけだ。
    今のBOUNTY KILLERを見てみろよ。
    やつまでがダンスをしている。」

    (※ボウンティキラーのニューダンス“キラーウォーク”のこと。これについてはまた後日ニュースを書きます!)

    ■流行をつくりだしたのは俺

    ファイル 200-3.jpg「去年、俺はカーテルにダンスについて尋ねたことがある。
    やつはダンスはしないと言っていた。
    ところが今年のSTINGで俺がカーテルにダンスの事を尋ねたらやつはダンスしてた。
    つまりこういうことだ。
    俺がこの流行をつくりだしたんだ。
    SHABBA RANKSが世界を又にかけて、先駆けしたように、
    俺がこの流行を先駆けたから、やつらもそれに続いた。
    SHABBAが先駆けして、俺とBUJU BANTONが後に続いたようにね。
    そして次にブジュがボスしたんだ。
    シャバはその後引っぱってはいけなかったが」とビーニマンは言った。

    「そして俺はドレスアップをし始めた。ベルサーチを着て、BMW、BENZ、LEXUSに乗り、家を買った。
    1992年から93年頃に流行ったアーチスト達の流行を先駆けたのは俺だ。
    スーツを買って着るようになって、もう昔のようにハロウィンのようなコスチュームを着るのは止めたんだ」とBEENIE MANは語った。

    「あの細いパンツを最初に履き始めたのは、誰だか知ってるかい?」とビーニマンは尋ねた。
    「君らが"BATTY MAN"と呼んでいる男達だ。俺の中ではもう終わっているスタイルだがね。もう2年前にベルサーチを着るのは止めたんだ。当時はパリやマイアミ、カナダまで買い物しに行ってたよ。だがもう俺は男のために服は着るのは止めた。俺は女が好きだから。やつらもその事に気が付いた時、今度は女の子達が好きだと思う服を着るようになるさ 」

    ■あとがき

    ここまでがBEENIE MANのインタビューのPT.2でした。
    とりあえず今回もここまでということで。最後のPT.3は、STINGでのボウンティとのクラッシュの話を始め、DAVE KELLY、D' ANGEL、そしてBLACK ROSESのことなどを中心としたインタビューです。(いつの更新になるかわかりませんが。。)

    (情報提供:THE STAR)
    Text: Ruff-Cutかずみ



    STAR紙によるアンケート結果発表「2005年の最も重要な曲は?」

    ジャマイカ新聞 「STAR紙」の読者を対象に「あなたにとって2005年に最も重要なレゲエ/ダンスホールの曲は?」というアンケートを紙面上で行った。

    それによって選ばれたアーチストと曲が下記のリストだ。

    今回のアンケート調査では、ダンスホールのシーンに与えた影響力、リリックスの内容、社会問題との関連性、そして現地ではもちろん国際的に認められているかどうかなど、様々な面から重要視し厳選された。

    その際、曲についての議論が起き、それらの意見を簡単に編集したものが、下記のコメントである。

    すべての曲が2005年にリリースされたものではないが、その年に大ヒットしたものである。

    ■JUNIOR GONG/WELCOME TO JAMROCK

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    この曲はグラミー賞にノミネートされたアルバムの中に収録されているヒットシングルだが、果たしてジャマイカの現実について正確に歌われていたかどうか、暴力を称賛し社会におけるすべての苦難を表しているだけではないか、などの議論も起きた。

    ■LEFTSIDE and ESCO/TUCk EEN YUH BELLY

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    これはLEFTSIDE and ESCOをスターダムにのし上がらせた代表曲となったが、歌詞の中で体重のことや体型のことを言うのは問題ではないかという討論が起きた。

    ■JAH CURE/TRUE REFLECTION

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    さらに論争の的になった曲である。
    この曲は人気高いアーチストJAH CUREの投獄された男の改革についてを歌っていて、その歌詞には胸が引き裂かれるような強烈なメッセージが描かれている。

    ■T.O.K./FOOT PRINT

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    この大ヒット曲はインターナショナルの市場で大きくクロスオーバーし、またT.O.K.というグループにも非常に国際的な称賛をもたらした。これは家族の上に暴力が引き起こした結末を歌っている。

    ■GYPTIAN/SERIOUS TIMES

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    この曲は社会的に厳しい現実を正確に反映した歌詞の内容なので、非常に評判が良くたくさんの人達から愛された。

    ■BABY CHAM/GHETTO STORY

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    BABY CHAMはこの曲によって大きな復帰を果たした。彼自身が経験し見てきた過去の社会状況について歌っている。

    ■ELEPHANT MAN/WILLY BOUNCE

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    これはおそらく2005年の間で最も大きなダンスヒットチューンだった。
    このダンスを創った"ボーグル"は、不滅のダンサーとしての名声がタイムリーに与えられた。今や"WILLY BOUNCE"は永遠のダンスとなり、ELEPHANT MANの歌詞にある「DANCE WILL NEVER DIE」という言葉に嘘はない。

    ■SEAN PAUL/WE BE BURNING

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    SEAN PAULのニューアルバム「TRINITY」からのヒットシングル。
    この曲は、海外で相当な大ヒットとなり、BETとMTVでもヘビーローテーションでオンエアされた。

    ■VYBZ KARTEL/EMERGENCY

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    これはKARTELが多才で多面的なアーチストであるということを見事に証明させた曲である。
    彼の力強い歌詞は、ジャマイカでの重く苦しい社会的な政治の状況についてが描かれている。

    ■I-WAYNE/LIVING IN LOVE

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    これも人々を勇気づけるメッセージが込められた非常に良い曲である。
    私たちに必要なものは愛なのだということを訴え、我々を元気づけ、また若者には犯罪など犯さず農業を営んだ方がよいとアドバイスをしている。

    ■SIZZLA/RASTA NAH APOLOGISE

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    この曲は、同性愛の権利を主張する団体より、ダンスホールの中の「同性愛嫌悪」の歌詞が問題であると指摘されたことの反論を歌っている。
    SIZZLAはこの問題について、アーチスト側の沈黙を破り、一人のアーチストとして、彼らの要求に対してレスポンスを返した。

    ■TURBULENCE/NOTORIOUS

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    2005年のこのヒット曲により、TURBULENCEはDEEJAYとしてさらに注目を集めた。
    また彼にしては珍しくダンスホールの中のギャングスタ現象についてを歌ったので、今までとは違う新鮮な印象を与えた。

    以上が、STAR紙による「2005年の最も重要な曲」のアンケート調査の結果でした。

    みなさんにとって2005年の重要な曲って何でしたか??

    考えるといろいろな曲が出てくると同時に、その時のシーンや状況も一緒によみがえってきますね。
    今年はどんな曲が私たちの心を揺らし踊らせてくれるんでしょうか。

    (情報提供:THE STAR)

    Text: Kazumi(Ruff-Cut)



    FIRE LINKS & FIRE SQUAD ANNIVERSARY と ニューリディムの「GLOBAL」

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    昨年末、HIT STRIP ENTERTAINMENTより、FIRE LINKSの新しいリディム「GLOBAL」がリリースされた。

    「GLOBAL」という名前だけあって、一般受けしそうな感じのアップテンポなビートのリディムである。

    まさにHOTでエキサイティングで話題になりそうなこのオケに参加しているアーチストは、
    BEENIE MAN & D' ANGELのコラボを始め、ELEPHANT MANの「BADMAN FORWARD, BADMAN PULLUP」(←これのPVのビデオシューティングは終わってるらしいので、目にするのも間近のはず!)、HARRY TODDLERやBUSY SIGNAL、すでにHITを飛ばしているトリニダード出身のBUNJI GARLIN、その他たくさんのアーチスト達が参加。

    これは来そうですね~ GLOBAL!!! GOVERMENT!!!

    このGLOBALリディムのリリースに伴い、HIT STRIP ENTERTAINMENT主催のパーティ「FIRE LINK and FIRE SOUND ANNIVERSARY」が2005年12月25日(日)のクリスマスナイトにRED HILL ROAD ENTRANCEのMARKET PLACEで開催された。

    出演アーチストは SIZZLA、ELEPHANT MAN、BEENIE MAN、CAPLETON、BABY CHAM、BUSY SIGNAL、MACKA DIAMOND、SPICE、FANTON MOJAH、I WAYNE、NATURAL BLACKS、HARRY TODDLER、CHUCK FENDER、GHOST、GENERAL Bなど。

    (写真はFIRE LINKS)

    text: Ruff-Cutかずみ



    BEENIE MAN INTERVIEW PT.1 - JOHN HYPEと分裂?

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    昨年の12月27日の朝、ポートモアのジャムワールドで行われた「STING 2006」の最後のステージでVYBZ KARTELとパフォーマンスをしたBEENIE MANは、レギュラーダンサーのJOHN HYPEと、今後はお互い別々に活動をしていくことを公表した。

    「今夜からJOHN HYPEはJOHN HYPE、BENNIE MANはBEENIE MANとして別々に活動していく。
    最近はJOHN HYPEなしでステージを7本こなした」とBEENIE MANは語った。

    「ジャマイカ国内ではJOHN HYPEとはほとんど一緒にやってない。
    海外でのショーとか、その他特別な時にしか一緒にやってないんだ。
    JOHNはジャマイカンマネーが強い時はたいてい海外にいるし、外国マネーが強い時はジャマイカにいる。
    彼がジャマイカでVAN(車)を買えばここにいるだろうし、ギャル達が周りに集まればJOHNはここにいるだろう」とBEENIE MANは説明した。

    BEENIE MANとJOHN HYPEは過去2年間の間に、熱いダンスブームを作り、ダンスホールのシーンでそれらがピークに達するまで、共に活動してきた。

    JOHN HYPEは「PON DE RIVER、PON DE BANK」のダンスを創ったことで一躍有名になり、ELEPHANT MANもそれと同名の曲で大ヒットを飛ばした。
    そして BETでヘビーローテーションで流れた BEENIE MANの"Dude"のビデオの中でも、JOHN HYPEの「PON DE RIVER、PON DE BANK」がヒューチャーされた。

    ■ 何も変わってない!

    ところが、THE STAR(ジャマイカ新聞)がダンサーのJOHN HYPEにインタビューをしたところ、
    その話(別々に活動すること)はBEENIE MANの一方的な発言だと言う。

    JOHN HYPEに言わせれば、BEENIE MANから直接その話しを聞いてないから、今までと何も変わっていないと主張した。

    「DOCTOR(ビーニマンのこと)が俺と一緒に仕事をしないって!?
    そんな馬鹿な。。。ただその場で言っただけだよ。
    俺にはさっぱり何のことかわからない。
    もし本当の話なら俺に直接言ってくるだろ。
    俺は本人から何も聞いてないよ。
    だからといってDOCTORを悪く言うつもりもない。
    今までと何も変わらない。
    それに俺はこれからアメリカでのショーの仕事が1本あって、今から出発するところなんだ」
    とJOHNは付け足した。

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    (※写真はDANCER JOHN HYPE@HOTMONDAYZ PARTY AFFAIR 2K5)

    ■ BEENIE MAN INTERVIEW PT.1

    2005年の始め、セントアンドリューのコンスタントスプリングロードで起きたBOGLEの殺害の余波によって、世間からはBOGLEの事件と何かしら関係があるのでないかと注目された。
    そのためにBEENIE MANとJOHN HYPEは隠遁状態となった。

    その後BEENIE MANはテレビに出演し、1月に起きたBOGLEの殺害事件について、自分らは何の関係もないことを主張した。

    殺害されたダンサー GERALD 'BOGLE' LEVYの事件にまつわる「うわさ」のために、JOHN HYPEと共に隠遁しなければならなかったBEENIE MANにとって、2005年は決していい年の始まりとはいえなかった。

    夏の終わりまでジャマイカから離れて海外へと飛行した。

    しかし長年もめていたCAPLETONとBEENIE MANは2005年の間に"FIRE MAN'S"、"ST.MARY WE COME FROM"、"DOCTOR'S"、"SUMMER SIZZLE"などのビックイベントに一緒に共演し、二人の不和が和解した。

    2005年も終わりに近づき、12月26日のBOXING DAYの日に行われた「STING 2005」でのVYBZ KARTELとのパフォーマンス、そして大晦日に行われた「THE ORIGINAL JAM JAM」でのCAPLETONやNINJA MANとのパフォーマンスにより、BEENIE MANは再びトップの位置に戻った。

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    (※写真はCAPLETON)

    骨折していた右手もようやく直り、次の夏に向けてVIRGIN RECORDSより4枚目のアルバムもリリースされる。

    以前のようにロードダンスで彼のヒット曲がヘビーローテーションでかかるようになる準備を整えるために、BEENIE MANは1月に休暇を取った。

    その休暇の間、ジャマイカ新聞「THE STAR」は、PEGASUSにてBEENIE MANの省略なしのインタビューを行った。

    先週の木曜日の夜、BEENIE MANはLICK A RIDDIMのチューンにドラムをセットする手配をしていた。
    THE STAR(ジャマイカ新聞)は、BEENIE MANとフィメール・シングジェイのD'ANGELが "MAFIA HOUSE PRODUCTION" で契約を交わしレコーディングした話など、最近の気になる点についてをインタビューした。

    「MAFIA HOUSEとSHOCKING VIBESは別々のレーベルなんだ。」とBEENIE MANは説明した。

    "MAFIA HOUSE"は、"DON MAFIA"と、"BEENIE MAN"、そしてBOUNTY KILLERの元彼女である"D'ANGEL"から成るレーベルだ。

    「"DON MAFIA"は、じつは"GRINGO"のことなんだ。
    GRINGOは過去にNINJA MANやBOUNTY KILLERなんかとすごいクラッシュをやってた。」
    と説明してくれた。

    2年以上前、BEENIE MANのキャンプにいたGRINGOはその後行方知らずとなっていたのだが、
    ここでGRINGOの所在があきらかになった。

    ■ 新しいイメージ

    以後、GRINGOは"DON MAFIAと"改名し、服装もスポーティな細身のピンストライプのスーツといった着こなしでイメージを変えた。

    「アーチストはみんなに格好よく印象づけるドレスアップが出来なければダメだね」
    とBEENIE MANは付け足した。

    「今、SHOCKING VIBESのプロデューサーSCATTAと競い合うようなプロデューサーが山ほどいる。SHOCKING VIBESはもともとアーチストを扱うのが仕事だ。
    俺たち"MAFIA HOUSE"は歌うことだけが仕事じゃない。
    ところが、いいリディムを持っているのはほとんどがプロデューサなんだ。」
    とBEENIE MANは言った。

    「だから、時々若いDEEJAYとリディムを扱う時に問題が生じる。それが暴力や犯罪にまで発展することもある。そんな時どうする?」
    まだまだ解決していかなければいけない問題が山ほどあるのだ。

    "MAFIA HOUSE"で今製作中のアルバムは、D' ANGELの「THE BLESSED CHILD」、DON MAFIAの「IT'S REAL」、そして今もなおSHOCKING VIBESに所属するBEENIE MANの「ME IS THE CEO OF MY COMPANY」である。

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    (※写真はD' ANGEL /YARDFLEX.COM)

    「アーチストを扱うというのは、イコール教育することなんだ。
    すべて教えていかなきゃいけない。
    もしアーチストの時間が足りなければ時間調整してやる。
    発音が悪ければ直してやる。
    そういったことを俺は"DON MAFIA"と"D'ANGEL"と一緒にやっていくつもりなんだ。

    たとえば 今のVYBS KARTELなんかがいい例だな。
    カーテルはBAD DEEJAYだが、キラーがいろいろ教えたり、リリックスをチェックして、カーテルのためにリリックスを書いたりもした。
    そういうのを手助けとは言わない。
    協力って言う。」
    「俺は、キラーがカーテルにしてやったことを高く評価している」
    とBEENIE MANは付け足した。

    しかしボウンティを高く評価しているにもかかわらず
    「ELEPHANT MANに続く今の若手アーチスト達は、いずれ俺のいる位置まで来ようとするだろう。
    やつらはBOUNTY KILLERにひけをとらないかもしれない。
    だが誰一人として俺のチューンにかなう者はいない。
    俺を負かすには才能で勝負するしかない」
    と主張した。

    「キラーは、誰のことも上げることはしないだろうね。
    若い取り巻きを周りにつけているのは、DEEJAYにとって都合がいいからだろ?
    カーテルは俺の邪魔をしたけどな。
    だが誰も俺以上最悪な状況に陥ることはないだろうね」
    とBEENIE MANは言った。

    「俺のDEEJAY歴は28年。やつらより年も上だ。
    だがジャマイカにいるすべてのアーチストが再思案する能力があるわけじゃない。
    SIZZLAやCAPLETONのように」
    とBEENIE MANは言った。

    「昨年から俺の道のりはハードだった。
    だからといってすぐにカーテルに俺の位置を譲るわけにはいかないんだ。
    なぜなら奴らはまだ若いから。
    奴らを仕切っていかなきゃいけないって自分自身よくわかってるからさ。」

    「俺の3歳の娘はBOUNTY KILLERを知らない。
    BUSY SIGNALも知らない。VYBZ KATELも知らない。ASSASSINも知らない。
    だがBABY CHAMのことはニューチューンまで知っている。

    14歳の娘は『ダディ、今日もラジオでダディの歌が流れないわね』
    と言ってはオレに仕事を続けさせようとしている。」
    とBEENIE MANは語った。

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    (※写真はBEENIE MAN /YARDFLEX.COM)

    ■あとがき
    ここまでが最近のBEENIE MANのインタビューのPT.1でした。
    じつはこのBEENIE MANのインタビューは "PT.3"まで続きます。
    とりあえず今回はPT.1までということで。
    もし続きが読みたいという方がいたらご一報ください。
    気合いと時間があったら続きを書くかもしれません。

    (情報提供:THE STAR)

    text: Kazumi(Ruff-Cut)



    Peaceful Sting 2006 at Jamworld -Sting 2005リポート-

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    写真は2005年12月26日にセントキャサリンのポートモアにあるジャムワールドにて開催されたSting 2006でのステージの様子。

    昨年キングストンのダウンタウンでレイプされ殺害された6歳の少女の写真をステージでかざすMr. Vegas。
    (写真撮影: CARLINGTON WILMOT氏)

    大勢集まったオーディエンス達の背後に朝日が登り始めた頃、GUINNESS STING 2005(ギネス主催スティング2006)はエンディングに入り、BEENIE MANとVYBZ KARTELがかわるがわる連発するリリックスに、多数の観客達は興奮してやまなかった。

    セレクターのGLAMOUR WAYNEとMCのNUFFYが、子供達を犯罪から守るためのマニュアルを読み上げたりと、ピース、ラヴ、ユニティを訴えるための努力を惜しまなかった。

    中でも、銃の事だけでなくGHANDI などを歌うAIDONIAには、たくさんの火が着いた。
    またPRODIGAL SUNのクリスチャンソングでは観客達がジーザスのためにジャンプしたり、まるで教会のお祭りのようだった。

    最後の取りの前に現れたNINJA MANでさえ、この日はピースな様子だったが、「今年はバウンティはキルするが、ビーニはしない」などの発言から興奮して火が着いた。

    ニンジャは警察長官のRENETO ADAMS氏をステージに呼び、自分の銃を返すよう要求したが、アダム氏は観客席の後方のTHE GLEANER (ジャマイカ新聞) チームの場所に隠れるようにいて、ステージには上がらなかった。
    余談だがアダム氏は昨年12月に曲をリリースしたそうだ。

    前回のスティングでクラッシュになったニンジャとカーテルだが、
    今年はビーニマンがステージからニンジャは去るように言ったので中断になった。

    ファイル 207-2.jpg今回のステージでもいくつかのスラングは使われていたものの、
    ひどい罵り言葉はなかった。
    今年のスティングも最後まで突っ走り、終了したのは翌朝の8時7分だった。

    多少時間延長はあったものの、いつものスティングとは違ったセグメントで、メッセージの強いシンガー達によるショータイムが設けられた。

    かなり早い時間からたくさんの観客達が集まり、 FIRST BORN (ガイアナ出身の6人グループのアーチスト) が彼らのヒット曲の「IRATES」を歌ったのは夜22時を過ぎた頃だった。ANTHONY CRUZの曲「TRULY A BLESSING」にはみんなが共感していた。
    またHALF PINTの「GREETINGS」では皆が身体を揺らし、「FOR THE LEADERS」を歌うLUCIANOに高く評価していた。

    ちょうど午前2時を過ぎた頃、PINCHERSが大ヒット曲「AGONY」や「MORNING RIDE」を歌い、みんなが楽しんでいた。

    写真はFOR THE LEADERSを歌うLICIANO。

    ■熱狂的なオーディエンス達

    RICHIE SPICEが「BLOOD AGAIN」を歌った時、会場のあちこちで炎が燃え、爆竹が鳴り、轟音を響かせ、リッチースパイスは歓迎された。
    また同様に、はっきりと明確に上手く韻を踏むリリックで歌うAIDONIAの「PROUD A YU GHETTO」や「LOLLY」は、皆を励まし、それはすばらしいステージだった。
    写真はAIDONIA。

    ファイル 207-3.jpg「STEP OUT」が大ヒットのBUSY SIGNALは全身黒で決めて登場し、LA LEWISと「MI NO KNOW YU TUNE, BUT YU GRAFFITI DEM BAD EEH」などのジョークを歌った。

    「CRY FOR MY PEOPLE EVERY DAY」を最初に歌ったCHUCK FENDERに、歓呼の声が上がった。

    「THOSE WHO LOVE MAMA」や「SERIOUS TIME」を歌うGYPTIANにオーディエンス達は心を打たれていた。

    TURBULENCEとSASHAは一緒に「LOVE OTHERS HAVE BEEN SEARCHING FOR」を歌い、
    ALOZADEのステージの最中に現れた KIPRICHは「LIQUERE」を歌った。

    キップリッチがどんな女の子に興味があるか述べて
    「みんなはエレファントマンがどんな女の子に興味があるか知りたくないか?」と観客に問いたところ、返答は「NO ̄!!」
    キップリッチは皆のクラップハンズとともにステージから退場した。

    FANTAN MOJAHの歌に対するオーディエンスからの穏やかな反響とは対照的に、朝の空に爆竹が鳴り響いた。

    しゃがれ声のASSASSINは「EDDIAT TING DAT」を繰り返し歌った。

    ■ハードコアな女性アーチスト達

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    早い時間には、素敵な女性ダンスホールアーチストのRUFFIAN、SPICE、LADY SAWなどがハードコアなステージを見せた。

    FACEは間違ったことを言ってなかったが、彼女の「A WHE DE MAN WHO CAN WUK DEM MAN RIGHT」のリリックに観客から笑いのどよめきが起きた。

    またMACKA DIAMONDと一緒に「BUN HIM」を歌ったBLACKERはステージから下がれとヤジを入れられていた。

    写真はLADY SAW、MACKA DIAMOND。

    夜10時45分にステージが予定されていたBEENIE MANは、結局午前1時近くになって初めて現れた。

    SHANE-Oは「AYIYIYIYI」を、NANCOは「LUCKY YOU」を歌い、高く評価された。

    また「REBEL IN ME」と「A REGGAE BROKEN ARROW」を歌うNODDY VIRTUEには、本当に歓呼の声が上がっていた。

    この日、会場では黙祷(もくとう)が捧げれた。
    キングストンのダウンタウンでレイプされ、殺害された6歳の少女の死に対して敬意を表し、MR.VEGASが少女の大きな写真をステージでかざし、会場はライターの火と炎で燃え上がった。

    その夜の出演バンドはLIVE WYYA、KAUSHAN、RUFF KUT、ホストMCはDENISE MILLER、SHAKA FAME、RAGASHANTI、NUFFYとNUFFIESHA。

    THE KING OF THE DANCEHALLで知られるBEENIE MAN は、今年もヘッドラインアーチストの一人としてステージに立った。

    以上、GUINESS主催「STING 2006」の報告でした!

    (情報提供: THE GLEANER 写真撮影:CARLINGTON WILMOT)

    text: Kazumi(Ruff-Cut)