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    異例の記者会見でMOVADOとKARTELの争いが終止符

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    長い間論争を起こしていたダンスホール・アーティストのVYBZ KARTELとMOVADOが、
    昨日(2月28日)ペガサスホテルで行なわれた記者会見で、二人の争いに終止符を打った。

    報道されたところによると、RE TVのキーマニ・ロビンソン氏と、
    この記者会見の計画を立てたDCPマーク・シールズ氏が立ち会いのもとで二人は事前に個人的なミーティングを行なったそうだ。

    昨日のインタビューで、マーク・シールド氏は語った。

    「私とRE TVのキーマニ・ロビンソンは、この二人のアーティストの論争について、議論しあったんだ。
    このままではファンや取り巻きの間で起きているリリック論争が犯罪に発展してしまうってね・・・」

    「私とキーマニはこの問題について二人で協力しあって解決していこうと話し合った。
    ポジティブでいるための音楽と芸術のためにね。
    ちょうど二人のアーティスト達の論争も少し落ち着いた様子だったから、私たちはカーテルとモバドと一緒にミーティングすることに決めた。
    もちろん両者とも来てくれた。その結果、公開ミーティングを行なうことになったのさ」

    「実際のところ、二人とも和解するのをためらったので、私もキーマニも驚いた。
    私たちは両者のファンの間で何が起きているのかを説明したんだ」

    昨日の記者会見で、両アーティストは争議の調停をし、彼らの間で和解する意思があることを示した。

    しかし、ファンと取り巻きの間で起きているリリック論争が暴力に発展していることについての質問が、両アーティストに一気に向けられた。

    カーテルとモバドはファンに対して謝罪をし、さらに暴力を起こす道具として、自分たちのリリックを使うのをやめるよう訴えた。

    カーテルは言った。
    「俺自身もモバドも、お互いを批判する曲を歌い、リリックを書いただけ。
    なぜならそれは音楽であり、アーティストはクリエイティブでなければいけないからさ」

    「ファン達は、俺とモバドが実際に争って撃ち合ったところを見たわけでも聞いたわけでもない。
    それに俺は今日モバドと会うためにここに来た。
    今、俺はモバドの左側に、モバドは俺の右側にいる」

    「俺たちはリリックでの論争をしていただけで、暴力的な争いは起こしていない。
    俺らのために仲間や敵を暴力に巻き込むような歌もうたっちゃいない。
    今日俺たちがここにいるのは、和解の進歩があったってことを見せしめるためさ」

    またMOVADOはこの件について、次のようにコメントをしている。

    「和解したのは本当のことさ。そして俺が "Real Mckoy"や"Gangsta fi Life"で歌っていることもすべて本当のこと。
    俺たちが一致団結したのも本当。過去の出来事も本当さ。BLESS.」

    ALLIANCEと今後リンクしていくことに期待していいのか?とカーテルに尋ねてみたところ、次のような返事が返ってきた。

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    「"ALLIANCE"に今後戻ることはないね。
    "ALLIANCE"は"ALLIANCE"で活動しているし、俺は俺で"PORTMORE EMPIRE"っていう今ボスしまくってる若手アーティスト集団を抱えている。

    俺とボウンティは今までステージで争ったことなど一度もない。
    だからモバドともこうやって和解した。
    俺たちはステージで争いを起こすようなことはしないよ」

    しかしこのような記者会見があっても、大半のメディアは二人の和解を信じなかった。

    DCPマーク・シールド氏に向けられた質問のほとんどは、この記者会見は二人の本心ではなく、単なるジェスチャーなのではないか?ということだった。

    その質問に彼はこう答えた。

    「そのとおりだ。二人が和解したのを見たファン達が、今までの暴力行為に対し非難するようになってくれればいいのさ。それが本当の目的なんだから。」

    次に私たちは、
    「この記者会見によって、二人のアーティストの宣伝効果を妨げることになったら?
    ・・あなたはどう思う?」
    とマークに質問した。

    「もしそうなったら、たぶん動揺してしまうだろうね。そしてこのことを引きずるだろう。
    だが、これは私とキーマニで決めたことだから、後悔はしない。
    しかし暴力を止めるんだから、よい宣伝になるはずだ。すばらしいことだ。何の問題も抱えていない 」

    そして昨日、私たちが二人のアーティストと直接話をしたところ、
    彼らは「ファンのみんなには、二人の新しいコラボを期待してほしい。このことがみんなに伝えられてうれしいよ」と語った。

    情報:YARDFLEX



    BAD GAL"CECILE"が2007年、ニュールックと音で勝負!

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    バッドギャル・セシールが2007年、ニュールックとサウンドを取り入れた新しいスタイルで活動を開始する。

    カリフォルニアのロングビーチで行なわれた26周年の"ラガマフィン・フェスティバル"からちょうど帰国したばかりのセシールがインタビューで語った。

    「ローカル(ジャマイカ)の人達は、私のことをしばらく見ていないってきっと思ってるわね。
    実際、海外でたくさんの仕事とたくさんのコラボをしてたの。」

    セシールの最新のビデオ「TAKE IT OFF」では、ロンドンの"ABOOD MUSIC"のアーティスト"SMUJII"が一緒に出演。
    また3月に "EMI LATINO(ラテン)"の"DANGER ZONE LATINO LEBEL" からリリースされる「MATADORE」というアルバムでは、
    ジャマイカのアーティストとレゲトンのアーティストが一緒に出演している。
    このアルバムで、唯一のジャマイカの女性アーティストであるセシールの最高の出来となった2曲のコラボレーション・ソングでは
    "FRENCH UNIVERSAL"のレコーディングアーティスト"LOAD KOSSITY"と一緒に"BOUNTY KILLER"が出演している。

    ●アルバムについて

    セシールはまだ独自のアルバムをリリースしたことはないが、
    LADY SAWとSEAN PAULのアルバムの中に彼女の曲が数曲フューチャーされている。
    しかし、2007年には日本とアメリカに向けて初のアルバムをリリースするため、今セシールはそれの制作活動に取り組んでいる。

    CORDEL "SKATTA" BURRELらのプロデュースによる「TALK TALK」が収録された
    日本向けのデビューアルバム制作の最後の仕上げに取りかかっている彼女から話を聞くことが出来た。
    (※「TALK TALK」は、昨年DANGER ZONE レーベルからリリースされたWIPE OUTオケの「GOODY」に似た曲)

    セシールは、次にアメリカに向けてリリースするアルバムの中のいくつかの曲は、作り直す予定だと語る。

    「もっともっとグレードアップするために、今まで歌ったダンスホールの曲すべてをアルバムに取り入れるつもりよ。
    だって、ほとんどの曲はまだみんなに知られていないもの。。。
    ジャマイカでは古い曲になるかもしれないけど、アメリカ市場ではどれも新しいものなの。
    今はヨーロッパ向けのアルバムも制作中よ。」

    「ちょうどジャマイカに戻ってきたばかりで、今はいくつかの現地のプロダクションと一緒に仕事をしてるわ。
    DANGER ZONEレーベルから出る"JAMDOWN"っていう新しいリディムがあるんだけど、
    その"JAMDOWN"と"WAITING"っていうリディムを使って、新しい曲を2曲ばかり製作している最中なの。」

    「"JAMDOWN"はジャマイカに向けて作った曲よ。
    私はね、自分の国について曲を書いたり制作したりしたことは今までに一度もないの。
    至る所では、いつもみんなに聞かれるわ。
    『 何故あなたはジャマイカに住んでいるの?』『犯罪が絶えない危険なところなんでしょう?』ってね‥。
    だけどね、私は犯罪や暴力のことじゃなく、良い部分のジャマイカをみんなに伝えていくつもりよ。」

    セシールは、洗練された高級な女性のセシールに変貌していた。

    2007年は新しい音に合わせて、新流行のスタイルを取り入れていきたいと説明するセシールは、
    ビジネスの面でも成長し、また外見的にも完成された女性に成長したように見える。

    セシールの新しい曲を聴いたら、きっとみんなが関心を持つであろう。
    なぜならその曲はHIPHOPとROCKのMIXに合わせ、ダンスホールがMIXされた新しいスタイルだからだ。

    彼女がシーンに初めて登場した時、ただ歌うだけのアーティストだった。
    だが、2007年には、革命をもたらす新しいアーティストに変わろうとしている。

    セシールの新しい曲、"WICKEDEST TIME A WEN DI RAIN START FALL"のリミックスバージョンは、
    アーティストの"HITLIST"とのコラボレーションソングで、これのビデオシューティングも行なっているので
    みんなの耳に届くのも近いだろう。

    情報&写真:YARDFLEX



    DELA SPLASHでBOUNTY KILLAとVYBZ KARTELが和解

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    セントキャサリンで毎年行なわれる「DELA SPLASH」のショーで
    VYBZ KARTELとBOUNTY KILLERが一緒に出演し和解することになった。

    カーテルはTVJテレビの朝の番組のインタビューの中で
    「DELA SPLASHでは、キラーとエリーと一緒にショーをやったんだ。
    大成功さ。
    ALLIANCEもよかった。
    何よりカーテルはすごいのさ!」
    と答えていた。

    ボウンティとカーテルの二人は、数週間前に激しい論争に巻き込まれ
    カーテルはALLIANCEのメンバーから脱退する事を決意。
    ボウンティはそれを裏切り行為だと批判した。

    その後、キラーはCVMテレビの番組 "Onstage" に出演し、二人の間の友好関係を元に戻すと公表した。

    インタビューの間、伝えられたところでは、
    BUSY SIGNALとIDONIAも同様に握手して和解したらしい。

    そして休戦のためのステージ(DELA SPLASH)が設けられ
    それは今年(2006年)のSTINGのテーマ「LOVE and HAPPINESS」にも反映することとなった。

    しかし、ほとんどのファン達の意見は、
    これは一時的な和解であり、本当のテーマは(いつものように)"WAR"である!
    BULLET BULLET BULLET!!
    ということらしい。。。

    二人の間でしんらつな皮肉の言い争いとリリック上でのディスのし合いが起きていたのが
    突如(とつじょ)一時的に休戦となったが、
    ちょうどこの時期は、ジャマイカン達にとって愛と喜びのシーズン"クリスマスの季節"だったため
    この二人の和解は特にうれしい知らせだった。

    何よりDELA VEGA市の住民達がこのニュースに相当ビックリしたはず!

    そして、空がゆっくりと明け方の色になり始めた頃・・・
    VYBZ KARTEL、別名"ADDI DI TECHA"は、DEEJAYのBOUNTY KILLERをステージに呼んだ。

    ELEPHANT MANも同様に彼らのステージに加わった。

    その他、たくさんのアーティスト達もパフォ-マンスした。

    スパニッシュタウンのデラ.ベガ・シティで開催された21周年記念のイベント
    「DELA VEGA SPLASH 2K7」の模様が収録されたDVDがラフカットのDVDオンラインショップで購入できます。

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    DELA SPLASH 2K7のDVDはこちらで購入出来ます!
    ※キラー、カーテル、エリーの3人が一緒にパフォーマンスしているサンプル動画あり

    情報:YARDFLEX



    べガスの「Nuf Friend From Dem」と「Teck Whey Yuhself」のビデオが大ヒット!

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    べガスの2シングル、「Nuf Friend From Dem」と「Teck Whey Yuhself」が今現在ダンスホールのシーンで大ブレーク!

    覚えやすいビートと伝わりやすいリリックでリスナー達の心をしっかり押さえ、大流行の渦に巻き込んでいる。
    また最近リリースされたこれらの曲のビデオも、すでに出ている。

    このビデオのディレクターは、ジェイ・ウィル氏。

    ジェイ・ウィルは、「Nuf Friend From Dem」のビデオの中で、
    一般的な腰をまわして踊るスキニーな(やせている)女の子達は一切使わず、
    古典的なウエスタンのアウトローな服を身にまとったべガス本人を魅力的に表現している。

    彼がライバルと最後まで戦うために、ゆっくりと慎重な足取りで歩いていくシーンなどもあり、非常にオリジナルな作品となっている。

    また「Teck Whey Yuhself」のビデオでは、脚本を一切取り除き、
    RAVERS CLAVERS(ダンサー)達が踊る「Teck Whey Yuhself」のダンスのシーンなどを取り入れ、
    ダンスホールの持つ様々なニュアンスをうまく表現している。

    覚えやすく、また人を引きつける魅力のある「Teck Whey Yuhself」は、ダンサー達にとってもはずせない曲となっている。

    このべガスの両シングルとビデオはもちろん、"TECK WHEY YUHSELF"のダンスも要チェックですぞ☆

    今後、ますます大ヒットになるのは間違いないでしょう!

    STONELOVEの「WEDDY WEDDY25」のDVDでは
    SAMPLE6、BLACK BLING、SADIKI、SHELLY BELLYなどのダンサー達による
    "TECK WHEY YUHSELF"のダンスクラッシュが展開されるシ-ンが収録。

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    かなり激しいクラッシュに展開し、最後はケンカになってますが・・・

    WEDDY WEDDY 25 2006 -TAKE WAY YU SELF CLASH!!!のDVDはこちらで購入出来ます

    情報:YARDFLEX



    KY-MANI MARLEYの「バースディ・セレブレーション」がフロリダで開催!

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    来る2月25日(日)フロリダのナイトクラブ「CONGAS」にて、ボブマーリーの息子のKY-MANI MARLEYのバースディ・セレブレーションが開催される。

    詳細は下記のとおり

    Til Shilo Promotions PRESENTS
    Ky-mani Marley's Birthday Celebration
    MySpace Camouflage Theme Party

    Damian"Jr Gong"Marley // Julian"Juju"Marley
    Stephen"Raggamuffin"Marley // Kehv // Fyakin // Ky-Enie

    Advance $30 tickets available online thru paypal

    @NIGHT CLUB CONGAS
    2079 N University Drive, Ft Lauderdale, Fl33322
    INFO: 347-873-3616 954-687-2997

    情報:YARDFLEX



    BUJU BANTONがフランスの雑誌「RAGGA MAGAZINE」の表紙に!

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    Gargamel Musicの最高責任者であり、モデルアーティストであり、またダンスホールレゲエのアイコンとして知られるブジュバントンが、
    フランスで発行されている「Ragga Magazine誌」(VOL.82)の今月の表紙に飾られた。

    David Commeillas氏によって書かれた、魅力的な8ページの特集記事「ルードボーイのリベンジ」では、
    ガーガメル・ミュージック・レコード・レーベルの開発者であり、ブジュの叔父である故・Joseph "Culture" Hill氏についてや、
    彼のニューアルバム「Too Bad」 がフランスでものすごく受けていることなどが掲載されている。

    Ragga Magazine誌の編集長であるギルバート氏は
    「このアルバム"Too Bad"は本当の意味で"Too Bad"だし、"Driver A"は今までの最高傑作の一曲だ。
    すべてのフレンチマッシヴ達は、この曲が気に入っているよ。 」
    と語っている。

    またギルバード氏は
    「ブジュは、ボーグルやワンドロップのリディムに上手く歌をのせることができる唯一のDJだね。
    それと、新世代の若手とも楽勝で競い合うことが出来る、唯一のオールドスクールのアーティストでもある。
    そう!彼は不滅のアーティストだよ!」
    と付け足した。

    情報:YARDFLEX



    SANCHEZがロンドンで毒殺!?

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    レゲエシンガーのサンチェス、本名アンソニー・ジャクソンが、
    最近イギリスのロンドンでのショーに出演した後に毒殺されたと報道された。

    新聞記者であり、サンチェスのマーケティングコンサルタントであるヴォニー・マガウアン・アースコットの話によると、
    そのシンガー(サンチェス)にとって、それは臨死体験だったという。

    「私たちは、先週の日曜日にハマー・スミス・アポロ・シアターでのショーを終え、
    ちょうどロンドンから戻ってきたところよ。
    サンチェスはフレディ.マグレガーとザ・ミレニアムバンドとクロニックと一緒にショーをしたの。
    彼らは約5000人の人達の前でプレイをし、それはサンチェスにとって最高のパフォーマンスだったわ。」
    とマガウアン・アスコットは言った。

    彼女は続けた。

    「ショーが終わった後、私たちはバックステージにいたの。
    アーティスト達にはそれぞれ個室のドレッシングルームが用意されていて、簡単な食事と飲み物が用意されたわ。
    だけど、サンチェスは普段、用意された飲食物は一切口にしない人なの。
    ところが、誰かが彼に飲み物を渡したらしいんだけど、どうやらカップがすり変えられて、彼は毒殺されたらしい。」

    マガウアン・アスコットは説明した。

    「彼がホテルに戻った後、何人かのファン達がホテルに来ていたんだけど、彼はとても疲れているって不満を言ってて‥
    いつもの彼らしくなかった。
    30分くらいファンの子達にサインをしてあげてたわ。
    それから約1時間後に、彼が私の部屋に電話をかけてきて、すごく気分が悪いって言ったの。
    私が急いで彼の元へ駆けつけた時には、わずかな脈拍しかなかった。彼はほとんど死んでいる状態だったの。」

    ●心臓発作のような症状

    「彼はおよそ15時間の集中治療を行なった。彼の症状はほとんど心臓発作だった。
    そして、彼が何か飲食物を口に入れたのが原因だと分かったの。」

    奇跡的な回復をし、現在ジャマイカで休養しているサンチェスは、つらかった出来事から神の恩恵を思い起こしていると語る。

    サンチェスは電話での短いインタビューの中で
    「もう一度生き返らせてくれた神にとても感謝している。
    同じ仕事仲間達に伝えたいのは、自分に近づいてくる人間には気をつけろってことだ。
    あれは本当に致命的な出来事だった」
    と答えた。

    マガウアン・アスコットは続けた。

    「それは強盗未遂に見られる事件だった。
    なぜなら何人かの関係者達は、彼がアフターパーティに出席することを望んでいたからよ。
    でも彼はアフターパーティーには行きたがらなかった。彼らはホテルに待機していたの。

    あれは強盗を起こすための企みだったとしか考えられないわ。
    だって、私たちが病院から戻ってきた時、ホテルの部屋がくまなく荒らされていたからよ。
    私たちは何とか彼の貴重品を守ることは出来た。
    それに彼はほんのわすかな現金はあったけど、彼自身は持っていなかったの。」

    「このことは海外に出てショーを行なうすべてのアーティスト達に警告として伝えなければいけないことだわ。
    誰がバックステージで一緒なのか?そして誰が滞在先のホテルを知っているか?などの注意が必要ね。」

    今週土曜に、キングスハウスにあるシンフォニーでのパフォームを控えているサンチェスは、
    そこでも十分な警戒をするために「完全フライトで行くつもり」と語っている。

    (サンチェスが生きていてよかった~・・)

    情報:Jamaica Star
    (Lady-K)



    ZIGGY MARLEYが4回目のグラミー賞を獲得!

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    昨夜、ロサンジェルスのステイブルセンターで行なわれた第49回グラミー賞で、
    ボブマーリーのアイコンとして知られる長男のジギーマーリーが
    他の4人の候補者を打ち破り、ベスト・レゲエ・アルバム賞を獲得。彼の気概を証明してみせた。

    タフゴングより世界的に売り出された
    ジギーマーリーのセカンド・ソロ・スタジオ・アルバム「LOVE IS MY RELIGION」は、
    ノミネート候補者のスライ&ロビー、ブジュバントン、英国のレゲエバンドUB40、アメリカ合衆国からのハシドのユダヤ人MATISYAHU MILLERの4人を押し退け、見事に賞を勝ち取った。

    ●拡張した関心

    そのアルバムは、38歳のジギーマーリーのデビューCDである「DRAGONFLY」を
    個人的、社会的、政治的にもっと切り開き、テーマを拡張させた感じの内容である。

    「LOVE IS MY RELIGION」に関していえば、
    ジギーマーリーはアルバムのソングライターであり、マルチ・インストルメンタリストであり、プロデューサーである。

    そのアルバムは2006年7月4日にリリースされ、今現在もターゲットを絞り、独占的に売られている。

    4回目のグラミー賞を獲得したジギーは、このアルバムには特別な意味があるのだと語った。
    (ZIGGY MARLEYは1988年、1989年、1997年と過去に3回のグラミー賞を獲得している)

    「このアルバムは私が完全に所有し大きくなった初の自主制作アルバムとなり、私の父(ボブマーリー)の夢だった。
    なぜならいつでもレコード会社は大金を抜き取っているからだ」
    とジギーは語った。

    このアルバムのコンセプトは、女性との会話を通じて作られたのだと説明した。

    「カトリック信者だった彼女が、私に何の宗教であるか尋ねてきたんだ。
    私は "LOVE IS MY RELIGION(愛こそ私の宗教)"だと答えた。
    これらの言葉は私の中で燃焼した。私にはそれが本当だと分かっていたのだ」
    と語った。

    情報:Jamaica Gleaner



    偉大なるROBERT NESTA MARLEYへの敬意

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    毎年2月6日は、偉大なるRobert Nesta Marley(ロバートネスタマーリー)を追悼して、世界中で祝賀と賛辞を祝う。
    1945年のこの日に生まれ、36才で脅威的なガンに屈し、1981年5月11日、あまりに早すぎる命を奪われた。

    ボブマーリーはジャマイカでメリット勲位を含むいくつかの賞賛を誉め称えられ、
    世界中のファンによってキング オブ レゲエミュージックの称号を得た。

    若かったボブマーリーがとてつもない芸術的成功を得るまでには、
    セント・アンズのナイン・マイルズとトレンチタウンというインナーシティでの非常に卑しい生い立ちが始まりであり
    それが彼のパワフルな力となっていた。

    世界中の人達にもたらすボブマーリーの説得力のある革命的な考え方は長い間生き続けている。

    1979年、ヨーロッパでのインタビューにおいて、
    マーリーは核兵器や戦争への反対、制度をくつがえすための嘘の事実、
    また核兵器を作り出した者達の計画や改悪があることなどを強く語った。

    「科学者達は私が言っていることにはまったく耳を傾けず、いまだに兵器の研究ばかりしている。
    しかし、彼らが永久に正しいものを作り出さず、人々を殺すための兵器を作り続けるならば、
    彼らもその兵器と一緒に破滅することになるだろう 」
    とMARLEYは意見を述べた。

    彼は
    「貧困者達は決して忘れられることはない、そして高潔な人間の予言は決して滅びないのだ」と続けて語った。

    ボブマーリーは、ラスタファリの精神的な哲学を世界中の人達に受け入れてもらうため、
    主に彼の音楽を通じてその教えをもたらした。

    「私は何の宗教にも属していない。
    ラスタとはライフなのだ - 私は私である…私はラスタマンだ。」

    ボブは、かつてインタビュアーに宣言したことがあった。

    平和と愛と真実のメッセージは、ボブの心臓の鼓動から来るものであり、
    彼にとってこれらのメッセージは世界に開かれた成功への扉でもあった、と‥

    そして1964年、ジャマイカの音楽シーンに最初の大きな衝撃を与えたのは、
    ボブマーリー、ピータートッシュとバニーリヴィングストンからなるウェイラーズのメンバーだった。

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    ※写真は1967年頃のウェイラーズ三人衆
    (写真:REGGAE BLOODLINES/株式会社ブルース・インターアクションズ)

    ウェイラーズの革命的な音により、今までのジャマイカンミュージックの歴史を燃やした最初のシングルは
    "Simmer Down" "Soul Rebel" そして "400 Years"になる。

    同様に70年初期に出したデビューアルバム"Burnin" と "Catch A Fire"は
    ウェイラーズの注目を集めることとなった。

    しばらくボブマーリーはリー"スクラッチ"ペリーと一緒に活動をした。

    後の1969年頃、海外の任務を終えジャマイカに帰国した友人のサッカー選手のスター、アラン"スキリー"コールと再会。
    グループを再編成した。

    「10代の前半から我々はサッカーの練習で会っていたから、心からのフレンドシップをとれた。
    そして緊密な繋がりを持っていったんだ。この関係だけは、本当のリレーションシップといえるだろう」

    我々は、兄弟よりも近かった‥
    我々は、一つの血で繋がっていたんだ。

    スキリーが説明した。
    「彼らはタフゴング レコードをつくり、そこからリリースをし続けたんだ。」

    「それからアイランドレコードがやって来た」

    スキリーにとって、ステージ裏でのボブへの精力的なサポートは大きな喜びであった。
    計り知れないほど貴重なアドバイスの提供者だったスキリーはボブに高く評価されていた。

    それは、お互いに専念したサッカーに対する愛情の共有性だったのかもしれない。

    スキリーとボブが息がぴったり合っていたという行動指針なのか、または二人とも似たような価値観を持っていたからかもしれない。
    どっちにしても、ボブの最後の日、彼らの友情関係がもっと強くなったことだけは間違いなかった。

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    ※写真はアラン"スキリー"コール(前列中央)率いるサッカーチーム、ザ・ハウス・オブ・ドレッド
    (写真:REGGAE BLOODLINES/株式会社ブルース・インターアクションズ)

    肉体的に、そして情緒の心の支えとなり、ボブから離れなかったスキリーは、
    終局の日々の中で、黒色腫(しゅ)と言う命を奪う恐ろしい皮膚癌と戦うボブについて強く語った。

    それは、ボブがサッカーをしていた少年時代の1970年に始まった。

    ある日、彼は2週間の休養が必要となるほど、ひどい反則のタックルを受けた。

    1977年、再び病気が再発し、ボブの怪我は、最も悪性の皮膚がんの1つ、致命的な黒色腫(しゅ) だと診断された。

    スキリーは、ボブが足の爪を剥がさなければいけなかったこと、厳しいダイエットが必要だったことなど、彼の治療と副作用について語った。

    ボブの病気による、ステージでの衝撃的な徴候が起きた時のことを、スキリーは続けて話した。

    ファイル 193-5.jpg「ボブがセントラルパークで倒れたとき、彼は私の手の中にいた...
    彼が回復することを望み、あらゆる時でも彼とずっと一緒にいた。」

    当時、ボブが受けていた化学療法は、結果的に有益なことより有害なことの方が多いように思えた。
    そのため、ボブはもっと新しくてより自然療法を求め、ドイツに旅立ったのだと説明した。

    兄弟とドイツに旅立った時、スキリーだけでなくボブの周りの人達すべてが愕然としたことが起きた。
    それはボブの髪の毛が抜け落ちた時だった‥とスキルは語った。

    逃れられないことに立ち向かうということは、厳しい敗北のようだった。
    そして、ボブとウェイラーズによって作られた多数の遺作は慰めを残した。

    スキリーは兄弟を失った。
    1981年の運命づけられた日・・・
    セデラブッカー、ボブの母親、息子とリタマーリー、ボブのベイビーマザー達と彼の子供達は、心の友と父親を失ってしまった。

    しかし、ボブの誕生日が2月6日であるにせよ「ナチュラル・ミスティック」の歌のように、
    ボブのメッセージにある"否定できない真実"は、我々の世界に絶えず伝えられている。

    それは、平和と愛と調和を流入することが極度に必要なのだと語っている‥

    BOB MARLEYが今までに授与された、多数の賞のリストは下記のとおり。

    ▼1976年: その年のベストバンド賞(ローリングストーン)
    ▼1978年6月:国連よりサードワールドの平和のメダルを授与
    ▼1981年2月:ジャマイカで3番目に高い名誉(ジャマイカのメリット勲位)を授与
    ▼1994年3月:ロックンロール栄誉の殿堂入り
    ▼1999年:20世紀ベストアルバム賞「Exodus」(タイムマガジン)
    ▼2001年2月:名声のハリウッドウォーク・スター賞
    ▼2001年2月:グラミー・ライフタイム・達成賞授与
    ▼2004年:ローリングストーンマガジンの100人のグレイテストアーティスト達の中から11位にランクイン
    ▼2005年:死後に出版された作品の達成賞
    ▼2005年:BBCより「ONE LOVE」がミレニアムソングに命名
    ▼2005年:BBCの世論調査により、最も偉大な作詞家の一人として投票獲得

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    BOB MARLEY リリックのページはこちら!

    情報:YARDFLEX 写真:REGGAE BLOODLINES/株式会社ブルース・インターアクションズ
    翻訳&テキスト:RUFF-CUTかずみ



    BUJU BANTONのヒットシングル「DRIVER」がビルボードで75位に!

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    BUJU BANTONのヒットシングル 「DRIVER A」が
    今週のビルボードのR&B/HIPHOPシングルチャートで75位に滑り込み、
    史上第2の最高チャートを出したことに、GARGAMEL MUSIC INC.は非常に満足している。

    以前ビルボードでBUJU BANTONの曲がチャートインした時のことをさかのぼってみると、1995年の「CHAMPION」、そして1993年の「MAKE MY DAY」の2曲。

    これはかなり久しぶりのチャートインとなる。

    このクラシック調のリアリティチューン「DRIVER A」は、
    今現在ビルボードのレゲエアルバムチャートで7位にランクインし、きわめて称賛されている2007年グラミーノミネートアルバム 「TOO BAD」の中のセカンドシングルとなる。

    ブジュの「NOTHING」 (REFIX/100 WATT MEDLEY)と「MAGIC CITY」のミュージックビデオは、ディレクターのTROY ANTONIO氏の手によって、ニューヨークのブルックリンで撮影が行なわれている。

    情報:YARDFLEX
    翻訳&テキスト:RUFF-CUTかずみ