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BEENIE MAN INTERVIEW PT.1 - JOHN HYPEと分裂?

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昨年の12月27日の朝、ポートモアのジャムワールドで行われた「STING 2006」の最後のステージでVYBZ KARTELとパフォーマンスをしたBEENIE MANは、レギュラーダンサーのJOHN HYPEと、今後はお互い別々に活動をしていくことを公表した。

「今夜からJOHN HYPEはJOHN HYPE、BENNIE MANはBEENIE MANとして別々に活動していく。
最近はJOHN HYPEなしでステージを7本こなした」とBEENIE MANは語った。

「ジャマイカ国内ではJOHN HYPEとはほとんど一緒にやってない。
海外でのショーとか、その他特別な時にしか一緒にやってないんだ。
JOHNはジャマイカンマネーが強い時はたいてい海外にいるし、外国マネーが強い時はジャマイカにいる。
彼がジャマイカでVAN(車)を買えばここにいるだろうし、ギャル達が周りに集まればJOHNはここにいるだろう」とBEENIE MANは説明した。

BEENIE MANとJOHN HYPEは過去2年間の間に、熱いダンスブームを作り、ダンスホールのシーンでそれらがピークに達するまで、共に活動してきた。

JOHN HYPEは「PON DE RIVER、PON DE BANK」のダンスを創ったことで一躍有名になり、ELEPHANT MANもそれと同名の曲で大ヒットを飛ばした。
そして BETでヘビーローテーションで流れた BEENIE MANの"Dude"のビデオの中でも、JOHN HYPEの「PON DE RIVER、PON DE BANK」がヒューチャーされた。

■ 何も変わってない!

ところが、THE STAR(ジャマイカ新聞)がダンサーのJOHN HYPEにインタビューをしたところ、
その話(別々に活動すること)はBEENIE MANの一方的な発言だと言う。

JOHN HYPEに言わせれば、BEENIE MANから直接その話しを聞いてないから、今までと何も変わっていないと主張した。

「DOCTOR(ビーニマンのこと)が俺と一緒に仕事をしないって!?
そんな馬鹿な。。。ただその場で言っただけだよ。
俺にはさっぱり何のことかわからない。
もし本当の話なら俺に直接言ってくるだろ。
俺は本人から何も聞いてないよ。
だからといってDOCTORを悪く言うつもりもない。
今までと何も変わらない。
それに俺はこれからアメリカでのショーの仕事が1本あって、今から出発するところなんだ」
とJOHNは付け足した。

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(※写真はDANCER JOHN HYPE@HOTMONDAYZ PARTY AFFAIR 2K5)

■ BEENIE MAN INTERVIEW PT.1

2005年の始め、セントアンドリューのコンスタントスプリングロードで起きたBOGLEの殺害の余波によって、世間からはBOGLEの事件と何かしら関係があるのでないかと注目された。
そのためにBEENIE MANとJOHN HYPEは隠遁状態となった。

その後BEENIE MANはテレビに出演し、1月に起きたBOGLEの殺害事件について、自分らは何の関係もないことを主張した。

殺害されたダンサー GERALD 'BOGLE' LEVYの事件にまつわる「うわさ」のために、JOHN HYPEと共に隠遁しなければならなかったBEENIE MANにとって、2005年は決していい年の始まりとはいえなかった。

夏の終わりまでジャマイカから離れて海外へと飛行した。

しかし長年もめていたCAPLETONとBEENIE MANは2005年の間に"FIRE MAN'S"、"ST.MARY WE COME FROM"、"DOCTOR'S"、"SUMMER SIZZLE"などのビックイベントに一緒に共演し、二人の不和が和解した。

2005年も終わりに近づき、12月26日のBOXING DAYの日に行われた「STING 2005」でのVYBZ KARTELとのパフォーマンス、そして大晦日に行われた「THE ORIGINAL JAM JAM」でのCAPLETONやNINJA MANとのパフォーマンスにより、BEENIE MANは再びトップの位置に戻った。

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(※写真はCAPLETON)

骨折していた右手もようやく直り、次の夏に向けてVIRGIN RECORDSより4枚目のアルバムもリリースされる。

以前のようにロードダンスで彼のヒット曲がヘビーローテーションでかかるようになる準備を整えるために、BEENIE MANは1月に休暇を取った。

その休暇の間、ジャマイカ新聞「THE STAR」は、PEGASUSにてBEENIE MANの省略なしのインタビューを行った。

先週の木曜日の夜、BEENIE MANはLICK A RIDDIMのチューンにドラムをセットする手配をしていた。
THE STAR(ジャマイカ新聞)は、BEENIE MANとフィメール・シングジェイのD'ANGELが "MAFIA HOUSE PRODUCTION" で契約を交わしレコーディングした話など、最近の気になる点についてをインタビューした。

「MAFIA HOUSEとSHOCKING VIBESは別々のレーベルなんだ。」とBEENIE MANは説明した。

"MAFIA HOUSE"は、"DON MAFIA"と、"BEENIE MAN"、そしてBOUNTY KILLERの元彼女である"D'ANGEL"から成るレーベルだ。

「"DON MAFIA"は、じつは"GRINGO"のことなんだ。
GRINGOは過去にNINJA MANやBOUNTY KILLERなんかとすごいクラッシュをやってた。」
と説明してくれた。

2年以上前、BEENIE MANのキャンプにいたGRINGOはその後行方知らずとなっていたのだが、
ここでGRINGOの所在があきらかになった。

■ 新しいイメージ

以後、GRINGOは"DON MAFIAと"改名し、服装もスポーティな細身のピンストライプのスーツといった着こなしでイメージを変えた。

「アーチストはみんなに格好よく印象づけるドレスアップが出来なければダメだね」
とBEENIE MANは付け足した。

「今、SHOCKING VIBESのプロデューサーSCATTAと競い合うようなプロデューサーが山ほどいる。SHOCKING VIBESはもともとアーチストを扱うのが仕事だ。
俺たち"MAFIA HOUSE"は歌うことだけが仕事じゃない。
ところが、いいリディムを持っているのはほとんどがプロデューサなんだ。」
とBEENIE MANは言った。

「だから、時々若いDEEJAYとリディムを扱う時に問題が生じる。それが暴力や犯罪にまで発展することもある。そんな時どうする?」
まだまだ解決していかなければいけない問題が山ほどあるのだ。

"MAFIA HOUSE"で今製作中のアルバムは、D' ANGELの「THE BLESSED CHILD」、DON MAFIAの「IT'S REAL」、そして今もなおSHOCKING VIBESに所属するBEENIE MANの「ME IS THE CEO OF MY COMPANY」である。

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(※写真はD' ANGEL /YARDFLEX.COM)

「アーチストを扱うというのは、イコール教育することなんだ。
すべて教えていかなきゃいけない。
もしアーチストの時間が足りなければ時間調整してやる。
発音が悪ければ直してやる。
そういったことを俺は"DON MAFIA"と"D'ANGEL"と一緒にやっていくつもりなんだ。

たとえば 今のVYBS KARTELなんかがいい例だな。
カーテルはBAD DEEJAYだが、キラーがいろいろ教えたり、リリックスをチェックして、カーテルのためにリリックスを書いたりもした。
そういうのを手助けとは言わない。
協力って言う。」
「俺は、キラーがカーテルにしてやったことを高く評価している」
とBEENIE MANは付け足した。

しかしボウンティを高く評価しているにもかかわらず
「ELEPHANT MANに続く今の若手アーチスト達は、いずれ俺のいる位置まで来ようとするだろう。
やつらはBOUNTY KILLERにひけをとらないかもしれない。
だが誰一人として俺のチューンにかなう者はいない。
俺を負かすには才能で勝負するしかない」
と主張した。

「キラーは、誰のことも上げることはしないだろうね。
若い取り巻きを周りにつけているのは、DEEJAYにとって都合がいいからだろ?
カーテルは俺の邪魔をしたけどな。
だが誰も俺以上最悪な状況に陥ることはないだろうね」
とBEENIE MANは言った。

「俺のDEEJAY歴は28年。やつらより年も上だ。
だがジャマイカにいるすべてのアーチストが再思案する能力があるわけじゃない。
SIZZLAやCAPLETONのように」
とBEENIE MANは言った。

「昨年から俺の道のりはハードだった。
だからといってすぐにカーテルに俺の位置を譲るわけにはいかないんだ。
なぜなら奴らはまだ若いから。
奴らを仕切っていかなきゃいけないって自分自身よくわかってるからさ。」

「俺の3歳の娘はBOUNTY KILLERを知らない。
BUSY SIGNALも知らない。VYBZ KATELも知らない。ASSASSINも知らない。
だがBABY CHAMのことはニューチューンまで知っている。

14歳の娘は『ダディ、今日もラジオでダディの歌が流れないわね』
と言ってはオレに仕事を続けさせようとしている。」
とBEENIE MANは語った。

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(※写真はBEENIE MAN /YARDFLEX.COM)

■あとがき
ここまでが最近のBEENIE MANのインタビューのPT.1でした。
じつはこのBEENIE MANのインタビューは "PT.3"まで続きます。
とりあえず今回はPT.1までということで。
もし続きが読みたいという方がいたらご一報ください。
気合いと時間があったら続きを書くかもしれません。

(情報提供:THE STAR)

text: Kazumi(Ruff-Cut)



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