SISTA'S NEWS

[MAY.2004]

5.12.04 更新

DANCEHALL QUEEN 2K3 "MAD MICHELL"
【マッド・ミッシェル★インタビュー2003】

今回は「2003 DANCEHALL QUEEN」の "MAD MICHELLE"(マッド ミシェル) を紹介したいと思います。
前々回のBOGLEインタビューと同様、実際のインタビューよりもかなり時間が過ぎてから翻訳、更新してます。
いつも遅い更新ですみません!予めご了承ください。

"2003 DANCEHALL QUEEN CONTEST"や"FIRE LINKS HOT MONDAY 1st ANNIVERSARY"
" JAMAICAN MUSIC VIDEO"などのビデオを見たことがある人は
彼女のダンスが"MAD SICK"であることはすでにご存じでしょう。

昨年の8月にJAMAICAのMO BAYにあるPIER ONE COMPLEXで開催された
「INTERNATIONAL DANCEHALL QUEEN CONTEST 2K3」で見事優勝を勝ち取った
21歳の女性ダンサー "MAD MICHELLE"。
このステージネームは ELEPHANT MANが名付け親で、本名はANN-MARIE-MARVETT MICHELLE MCKOY。
ちなみにDHQ CONTEST 2K3に出場した時は"REAL MCKOY"というステージネームです。

MAD MICHELLENEW HAVENにある彼女の家を訪ねたところ、
MICHELLEは白のUNION BAYのシャツとブルーデニムパンツという
フルファッションでインタビューに応じてくれた。
背が低く小柄で派手なメイクアップにラテン系の顔立ち。
そして小さな身体には7つのTATTOO(タトゥ)が入っている。

最初 彼女ははにかみながら「頭痛がする」と言い
その場になじめず落ち着かない様子だったが、
しばらくするとリビングのソファーでくつろぎ、話を始めた。
実際はフレンドリーな女性のようである。

MICHELLEのインタビューでは母親のKAREN SPENCEからも話を聞くことが出来た。
KARENはソファーの手すりに腰掛け、
娘がなぜこれほど音楽を愛し、ダンスを愛しているのかについて語り、
その間MICHELLEは静かに母親のことを洞察していた。

KARENは、かつての自分はダンサーで、そこのコミュニティのクィーンだったこと、
そしてMICHELLEの父親と出会ってすぐに妊娠したが、それにもかかわらずダンスに足を運んでいたこと、
ある晩にダンスの現場で突然つわりが起き、走って家に戻り父親に病院へ運んでもらい、
そこで小さなダンスホールクィーンMICHELLEが誕生したこと‥などの思い出を語った。
MICHELLEがまだ子供だった頃、KARENはバレエダンスも含めてありとあらゆる種類のダンスをやらせた。
「バレエのダンスはMICHELLEには向いていなかったの。なぜってMICHELLEはアップテンポな音楽が好きだから。
ダンスは私にとってプライドであり喜びだったわ。だってその当時の私は踊ることだけが唯一の楽しみだったから」

ここでMICHELLEが不意に言葉をさしはさんで無表情に話始めた。
「ダンスホールクィーンで賞を獲得してハイプになっているダンサーもいるけど
私はみんなとは違うわ」

昨年"Miss Hedonism 2003"にも選ばれたMICHELLEは、
そこでもパーティアニマルとなり注目を浴びた。
「私は外に出るのが大好きなだけ。
パーティに出かけたり、はめをはずして楽しむことが大好きなのよ」

“踊る”ということは決して楽なことばかりではないとMICHELLEは指摘した。
「時々踊り過ぎて体中が痛い時があるの。氷で全身を冷す必要があるくらい‥」

MICHELLEは2003年のダンスホールクィーンに選ばれ、その王冠を手に入れた。
そして日本から進出した2002年のクィーン"BASHMENT JUNKO"の手によって
賞金$70,000とSLAM CONDOMのトロフィーが手渡された。
しかし その後 数時間の睡眠の間にその王冠は何者かに盗まれた。

「DANCEHALL QUEENは私の人生を変えた。ダンサーの仕事はとてもハードだけど楽しいわ。
だって私は1秒足りとも楽しむ時間を無駄にはしないから」

「クィーンになって以来、いくつかのカリブ島でショーをしたり、
FRISCO KIDの"GALLOP"やHARRY TODDLERの"INTERNET"(※JAMAICAN MUSIC VIDEO VOL.35収録)
などの PVにフューチャーしたりとMICHELLEの才能を知ってもらうチャンスが訪れたの。
私の才能が皆に注目されるようになって、たくさんの出演依頼が来るようになった。
こんな事、想像もしてなかったわ」
とMICHELLEは感謝するような声で語った。

「いずれは自分のショップをオープンするの。
そしてマッドな動きを学ぶためのダンスクラスを開講するつもりよ。」

彼女にはもう一つのプランがあった。
それは踊ることから更に上を目指し、LADY SAWやCE' CILEのような女性DEEJAYになることだ。
MICHELLEは自分が"SINGJAY"であること、
そしてレコーディングはまだだが今現在はDOWNSOUND RECORDSでVOICINGしていることなどを話してくれた。
彼女のチューンが今後BUSするかどうかは、時だけが教えてくれることだろう。

(訳・文:FRUIT OF ISLAND)

あとがき

今回使ったMICHELLEの写真は古いもので、今現在のMAD MICHELLEとはイメージがいくぶん違います。
最近のMICHELLEを見たい方はRUFFCUTのビデオでもチェックできます☆

TRANSLATED & TEXT BY KAZUMI(FRUIT OF ISLAND)


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