海外のサイトで、レゲエダンスの創作者"ボーグル"の インタビュー記事を見つけました。
1997年のインタビューなので、3〜4年くらい前の内容ですが ちょっと興味深いなって思い
めずらしい記事なので紹介することにします。
ボーグルの意外な一面も発見・・・
N.Y.でのインタビューだと思います。
バリバリのパトワでの会話なので、意味不明のところは一部省略してあります。
インタビュアー:「ダンスを始めたきっかけは?」
ボーグル:「子供の時は、 いつも"Where Its At"の曲に合わせてダンスをしていた。
"Ring Ding"の "Ms.Lou"(Louise Bennett)知ってるだろ?
ダンスの影響を受けた人は、まさに"Ms.Lou"だった。
そこから始まって、今はインターナショナルダンサーになった。
最初は"Where Its At"でダンスしたり、Discoでダンスしたりしてたよ。
ダンスの練習っていう毎日だったな・・・
今は、ダンスの練習じゃなくて、自分のダンスを創ってるけどな。
なぜかって、それが俺のやるべきことだからさ。
こうして3個、4個・・・・・10個ものボーグルダンスが、毎年生まれてるのさ」
インタビュアー:「"ボーグル"という名前の由来って、国民の英雄"ボーグル"氏の名前から?」
ボーグル:「まぁ・・本当のところ、そうらしい。 家族の話だと、俺を初めて見た時に、 この子はPaul Bogleに似てる・・・ってさ。
JAHからもお告げがあったらしい。
その時から俺の名前は"ボーグル"さ。
だけど俺の考えは違うね。俺が本当の"ボーグル"、 正真正銘"ボーグル"なんだ。」
インタビュアー:「ダンスは、どんなふうに造り出しているの?」
ボーグル:「そうだな・・・ まず言っておかなきゃいけないのは、 俺は相当のダンスホールの熱狂者だってことだな。
まぁ、そんなのは当然のことなんだが。
で、ダンスを創るようになったきっかけは・・・
ある晩、ダンスホールに行ったら、なんか、しんみりした様子でさ、
誰も踊っていないし、静止状態で、全然盛り上がってないんだよ。
それで、これは何とかしなきゃって思った。
誰だって音楽を理解することが出来なかったら、ダンスなんて踊れないさ。
音楽のことが判るようになって、初めてダンスが踊れるようになるわけだ。
つまりだな・・・
もしこの世界に音楽ってものがなかったら、ダンスもない。
それとは逆にダンスがなかったら、音楽だって当然行き詰まってくるだろ?
だから、いろいろ考えたさ。
自分のやるべきことは何かを考え、 気持ちを整理してから教会に行って、俺への誓いをした。
かつてのように、ただダンスの練習に励み、 流行りのDiscoで踊るだけ、なんて、くだらねーことは止めよってな。
音楽を表現するダンスを創っていくことに専念していこうって思ったんだよ。
あれは直感だったな。
それ以来、俺は自由な発想を持って、自分のダンスを創るようになったってわけさ。」
インタビュアー:「最近の新しいダンスは?」
ボーグル:「Hot 97(N.Y.のFMステーション)で、"Mission Impossible"がかかったら、チェックだな!
それは"ボーグル"のニューダンス"Pelpa Dance"だ。
まぁ、いわゆる"ボーグル"リミックスってやつだな。
俺が、ダンスホールについて、こんなに話したんだ。
すごいことだろ?
どんなにこれが好きかって、わかってくれたか?
俺の話、信じてくれよな。
お前をリスペクトしてるから話したんだからな。
今話したことやスラングなどが、 いつもダンスで表現していることさ。
Jr.Reid の"All Fruits Ripe"やBuju Bantonの"Mr.Man"・・.
それから "Mr. Wakinston"や"Mr. Abraham"や"Mr. Mention"・・・
それらは全部、俺のことを歌ってるんだ。
そうそう、Frisco Kidって、知ってるだろ?
俺とFriscoは、ワシントンで一緒にショーをやったことがある。
ステージで、俺が一言 語ったら、 Frisco Kidは
“お前はステージで踊るだけでいい。 余計なことは語るな”・・・。
俺はなぁ、ダンスする時はいつでも、ダンスで言葉を表現するんだ。
これが"Pelpa"という言葉の意味さ。
"Pelpa Manはくたばらない"、"Pelpa Manには愛がある"ってことを この"Pelpa Dance"で表現しているんだ。」
(訳:Lady-K)