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2005 International Dancehall Queenの謎の死

「Dancehall Queenは皮膚病による病死だった」と医者は語るが、その真相は‥?

情報:Hawkeye from Canadian DHQ Promotor
リポート: KAVELLE ANGLIN-CHRISTIE
翻訳&テキスト:RUFF-CUT (Kazumi)

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Dancehall Queenの死

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(写真:Shanique Taylor@International DHQ 2005)

昨年モベイで開催されたRED LABEL WINEの2005 Dancehall Queen Contestで優勝しクィーンになった「シャニーク・テイラー」は急性の皮膚病のために死亡したと医者は語る。

彼女が朽ち果てる最後の時期は、相当の痛みに苦しんでいたそうだ。

テイラーの家族の話によると、彼女の死は黒魔術によるものだと主張したが、
彼女の担当医だった医者の話によると、【とうそう】(※伝染病のひとつ)だと語っている。

彼女の継父にあたるアルヴィンマーティン氏の話によると
「テイラーは7月30日にモベイで開催したDancehall Queen Contestで優勝し、
その後11月にカナダで2つのショー(Canadian Dancehall Queen)をこなして帰国した。

ところが同11月の最後の週あたりに、テイラーが突然自分の足の異変を訴え始めた。
見ると彼女の足の指の間に若干のにきびのような吹き出物ができていた。
私たちは心配になってテイラーを病院に連れていった。
ところが医者はこれは水虫だと言った。
しかし指の間から出ている膿や症状を見て、私たちはこれが水虫ではないと判断した。」

身体中の痛み

テイラーの父マーティンは語り続けた。
「12月の第2週目になって、私たちはもう一度医者を訪ね、それからずっと通い続けた。
しかしテイラーの容態は悪化する一方だった。それは身体全体に広がり始め、どんどんひどくなった。
テイラーの口は小麦粉で揚げたフリッターのようにふくれあがり、しばらくすると今度は身体中に痛みを訴え始めた。
少しでも早く良くなるようにと、私たちは頻繁に医者を訪ねて、検査をし続けた。」

「私たちはテイラーにあらゆる検査を受けさせた。
エイズの検査もしたが結果は陰性だった。
医者は、テイラーの一体どこが悪いのか見つけることができない、と言ったが、彼女の容態は悪化していくばかりだった。
その時の話はしたくないほど最悪な状況だった。私たちはストレスを感じた。」

「それから34ヶ月後、テイラーはあっけなく朽ち絶えた。
もしあのとき、私の娘テイラーの姿を見たら、あなた方には信じられないことだろう。
身体の腐敗した部分は切り取られ、私たちはテイラーの身体にJeyesを使い始めなければならなかった。
その部分にはハエとウジが集り、1日に何度も消毒してきれいにしてもまったく無意味だった‥」

医者は言った。「さもなければ‥」

ジャマイカの新聞STAR紙が匿名希望の数人の医者から話を聞いたところ、
テイラーがエイズの検査をした際、彼女には痘瘡【とうそう】(※伝染病のひとつ)の可能性があることが判明したと言う。
「とうそう」とは、皮膚に吹き出物やイボなどのひどい障害などが出る病気だと医者は説明した。

「この病気は遺伝ではない。死亡率は低いので、医者によっては治癒もできると言われる。
もしあなた方があの時テイラーがどんなにひどい状態だったかを知ったら、
近い将来死に至るということに疑う余地もないだろう。

彼女の肋骨には巨大な数のウィルスがはびこっていた。
痛がる箇所も多かった。

初めて私がテイラーと対面した時、彼女の目と口は開くことが出来なかった。
これは非常に危険で深刻な状態だ」と医者の一人が言った。

テイラーの死が「黒魔術」によるものであるという家族の意見に、医者はまったく耳を貸さなかった。

「こういうケースの場合、誰にもどうすることも出来ない。深刻な状態だ。」
最終的に皮膚科の専門医にテイラーを任せることにした。

その皮膚科の専門医は、病院の許可なしで、コメントをする気はないと申し出たが、
「この病気は薬やドラッグなどの使用によっても引き起こすことが可能である」と語った。

これによって、何者かが悪意を持ってテイラーに何かを飲ませた、と主張する家族の意見に少なからず信用が高まった。

「海外には無数のドラッグがあり、使用の方法によっては、このようなケースが現れる場合もある。
だがテイラーがそうだったと言う気はない。」と担当医だった皮膚科の専門医は語った。

父・マーティン自身による調査

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(写真:Shanique Taylor@International DHQ 2005)

テイラーの父、マーティン自身がこのケースについて調査したところ、
今年の1月と2月にテイラーが黒魔術師のところを訪ね、
そこで誰かに何かを飲まされた、ということを確信した。

「人に危害を与えるような場所に私は最初行かなかった。
しかし、このことを明白にしたかった。
私にはすべてを知る必要がある。
だから私は黒魔術師の場所を訪ねた。
そこで私が直接聞いた話は、誰かが儀式の中でテイラーに何か食べ物か飲み物を与えていた、という事実だった。」

「私たちがテイラーを病院に連れていった時には、もう手遅れの状態だった。
テイラー自身も自分の人生を脅かす何者かが近づいていると確信していた。
彼女に何かをした者には報酬が与えられたはずだ。」

テイラーの母、ブロッサム・マーティンが言った。
「私は非常に熱心なクリスチャンです。シャニーク(テイラー)もその事をよく知っています。」
そしてシャニークの最後の言葉を思い出して、彼女の声は震え出した。

テイラーは死ぬ前に言った。
「マミー、マミーに会いに教会に行くわ。
あの人達が私に何をしたかわかっても、何もしないで‥。
あなた達の手を汚してほしくないの‥ マミー‥
あの人達が私に何をしたかわかっても‥」

「私たちには、テイラーがただの病気ではないことはわかっていた。
けれども医者は皮膚の病気という結論しか出してくれなかった。
だけど、皮膚の病気だけでは、こんなに早く死に至ることはない。
テイラーの皮膚はどんどん溶けているようだった。
言葉ではうまく説明できないわ。
テイラーの顔は焼けただれた状態で、彼女の胸も首も足もすべてセメントで覆われたようだった。
鼻から出血し始め、腐った足からはウジが出て来て‥ 」
とマーティン夫人は泣き始めた。

夢にしがみつくこと

夫人はつい取り乱してしまったと謝った。
「医者はテイラーの白血球がバラバラになり続けていると説明していたわ。
どうしたらいいのかわからないとも言ってた。
あらゆる検査をしても、どれも陰性という結果だった。
陽性という結果は何ひとつなかったの。

テイラーの夢の一つに、婦人科医になるという夢があった。
彼女には一生ダンスを続けていく意志はなかった。
なのに彼ら(彼女ら)はテイラーの人生をめちゃくちゃにしたのよ。

今の私には、彼女の夢にしがみつくこと以外、何も残ってないの。
結局テイラーは2月の末から4月までの間、ずっと入院して苦しみながら死んでいったわ‥」

夫人の話によると、テイラーの死後、娘を毒殺したという犯人が自供し始めたと言うことだった。
また、テイラーの友人の一人が「シャニークの服を盗んだのは私じゃない」とマーティン夫人に話したそうだ。
夫人は彼らにテイラーの服を返すよう指示した。

「私たちが与えた食事から娘が病気になることは決してないと断言出来るわ。
彼らが娘にやったことは度が過ぎていた。そしてテイラーは死んでしまったの。
テイラーの身に何が起こったのか知ったときの彼らは、誰一人として私の顔をまともに見ることは出来なかった。

今となって、この事件のことが少しずつ浮き彫りになってきた。
「5月21日はテイラーの21歳の誕生日をお祝いするの。そうでしょう?」とマーティン夫人は遠い目で私たちに問いかけていた。

今年の7月までクィーンはいない

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テイラーのQueenとしての時代はあまりに短かった。
彼女と一緒に仕事をした者達の話によるとテイラーは他のクィーンとはちょっと違ったタイプだったと語っている。

またDancehall Queenのリーダー、Brian "Big Head" Martinことビッグヘッド氏は、
来る7月29日にモベイのピア1で開催される今年のコンペティションまでの間、テイラーに代わるクィーンはいないと語っている。

「今年のコンペティションまであと23ヶ月あるから、通常なら次点者がクィーンとなるが、
今回の場合はそれがベストなやり方だとは思えない。

もちろん 2005年のDancehall Queen、テイラーへの尊敬の気持ちもあるし、テイラーに代わるクィーンは今のところ考えていない。

しかし、今年のクィーンへの冠の授与は昨年の次点候補者だったダンサーに託すつもりだ。
また今年のコンペティションではテイラーの追悼式も行う」とビッグヘッド氏は語った。

「今まで9年間続けている、このコンペティションの中で、テイラーのようなクィーンに出会ったことはなかった。
彼女は他人との仕事もスムーズにこなしていた。
ステージの上と、そうでない時の彼女はまったく別人のような印象だった。
テイラーはいろんな場所に営業に行ったが、どこに行っても人々から好かれた。
なぜなら彼女は勤労を善とする価値観を持っていたから。
テイラーの態度もすばらしかった。
そして彼女はチームとしても活躍していた。」

「今までのDancehall Queenのほとんどは、特定のバックグラウンドから出てきたダンサーであり、
彼女達はいつでも仲間を敵に戦っている。
しかしシャニークは、そのようなヴァイブスは発していなかった‥

私はシャニークが世界を又にかけ、あちこちのツアーに出かけ、パフォーマンスをする機会を得たことをうれしく思っている。 」とビッグヘッド氏は語った。

「今回の出来事は非常に悲しいことだ。そして父親は彼女の死を見たのだ。
この場を借りてインターナショナルダンスホールクィーンに特別な敬意を‥」

来る2006年7月2日、カナダではシャニークの命を祝福するための特別な企画のもとで、「International Dancehall Queen」が開催される予定。
このコンペティションに参加したいという方はメールにて募集中。

(Lady-K)

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